第04回:太王四神記を見る前に知っておきたい高句麗人の精神


予習してさらにハマる太王四神記

【第四回】

太王四神記を見る前に知っておきたい高句麗人の精神






三国時代、最強だった高句麗



高句麗は早くから周辺地域を征腹することに力を注いできました。仏教を受け入れ、国家の教育機関を建てて人材を養成することにも力を入れました。国家としての強い基盤を作った高句麗は『太王四神記』の主人公である広開土大王(グァンゲトデワン)と、その次の王様である長寿王(ジャンスワン)の時代に、全盛期を迎えます。広開土大王は満洲まで領土を大きく広げ、長寿王は都を今の北朝鮮の首都である平壌(ピョンヤン)に移しては朝鮮半島の南へ領土を広げ、百済と新羅を脅かしました。


三国時代、最も強かった高句麗は、何度も続いた中国の侵略を退けましたが、その中でも有名なのは乙支文徳将軍(ウルチムンドク、敵の意表をつく大胆な知略で勝ち続け、詩文にも優れた韓国人なら誰もが知っている名将)が、中国の統一王朝である隋の侵略を退けた「薩水大捷(サルスデチョプ)」や、梁萬春(ヤン・マンチュン)将軍が645年唐の50万兵士の侵略を安市城(アンシソン)でわずかな兵士で退け、唐の太宗がヤン将軍の勇猛さに感嘆し絹をプレゼントしたという記録を残した戦いです。


高句麗建国神話をドラマ化した『朱蒙(チュモン)』と同じ時期に放映された『淵蓋蘇文(ヨンゲソムン)』も、高句麗と中国との戦が見所ですが、『淵蓋蘇文(ヨンゲソムン)』は高句麗後期、王を殺して大莫離支(デマッリジ、今の総理のような最高指導者)になった人で、唐との戦いに負けたことがありませんでした。





高句麗軍の強さの秘密は死生観にあり!?



戦争に勝ち続けた高句麗は、中国東北地方の大帝国に成長します。高句麗が何十倍もの兵士と力のある中国に勝てた秘訣は何だったのでしょうか。


中国はその国土の大きさや人口の多さから、他の国に比べ圧倒的に多い数の兵士を動員できました。もちろん戦争は「将兵の数が多い方の勝ち!」というわけではありませんが、中国の歴史を振り返ると、人海戦術で負けたことがほとんどありませんでした。でも、中国は高句麗との戦争には、ことごとく敗れています。高句麗が中国に立ち向かい勝利できたのは、中国より優秀な武器があったのと、山城を活用した戦術のおかげといわれています。


しかし最も重要な理由は、高句麗人の生と精神にあります。高句麗の遺産の中でも最も印象的なのは、幾多も残っている墓の壁画です。エジプトや他の国の壁画と比べ、高句麗古墳の壁画は性格が全く違います。


驚いてしまうのは、壁画の登場人物がみんなとても明るく表情が豊かで、歌って踊って楽しそうにしている画ばかりということです。高句麗人は現世での生が全てではなく、肉体が消滅しても魂は天につながると信じていました。高句麗人がエジプト人と同じように来世を信じていたということは、壁画の内容が楽しく描かれていることからも伺えます。


特に高句麗の壁画には死神とドケビ(韓国伝統の鬼)、空を飛ぶ神仙と竜、鶴、鳳凰、キリンなどが登場しますが、邪悪なものや地獄の風景が全くないというのは、死を肯定的に受け入れたという兆候であるといわれています。高句麗人は来世の生まれ変わりを信じていたので死を恐れませんでした。戦闘で死んでも、より良い永遠の世界に行けるから大丈夫だという高句麗人にとって、国や家族を守るための戦争も日常のひとつだったんですね。高句麗軍が周辺のどの国の軍隊よりも強く士気が高かったのは、決して偶然ではありませんでした。





  • 踊る人々を描いた高句麗時代の壁画。このように、生を謳歌する絵柄が少なくありません。












強国・高句麗の滅亡



千年の帝国ローマ、日が暮れない大英帝国……世の中に存在したどんな強大国も滅亡の瞬間を迎えます。705年の長い歴史と強力な力を持つ高句麗も、決して例外ではありませんでした。全盛期を迎えた長寿王の後から少しずつ寂びはじめた高句麗は、70年も続いた隋、唐との戦争により農地が荒れ、内乱に加え倭(当時の日本)にまで攻められました。


ここに、王の独裁政権で疏外された一部の貴族が裏切り、さらに新羅まで唐の力を借りて攻めてきました。最後の力を振り絞り、唐と新羅の連合軍と戦った高句麗は、ついに668年に敗北し、建国から705年の長い歴史の幕を閉じることになりました。高句麗を倒した新羅はその後百済も攻撃し、統一新羅時代を迎え、高麗時代、朝鮮時代へと歴史は続きます。


高句麗人の精神、そして、高句麗軍の強さは、ドラマ『太王四神記』ではどのように描かれるのでしょう? 放映が楽しみです。


   – BY  趙章恩

Original column
http://ni-korea.jp/entertainment/essay/index.php?id=04