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教育とAIの出会い
ここ数年日本では、ソサエティ5.0、AI-Readyな社会、人間中心のAI社会原則など、AIが社会に浸透することを前提にした政策や制度の変化について有職者が集まり議論する場が増えている。教育の現場でもAI時代の子育て、AIに置き換えられない人の育て方、AIを使いこなせる人材に育てるなど、AI時代の人材をテーマにしたイベントが数多く行われている。
世界の流れを見ると、パリにあるユネスコ本部では2019年3月、日本政府の支援により「持続可能な開発のためのAIの役割」をテーマに世界中から教育と技術の専門家と各国の政府関係者を集めて議論するイベントが行われた。毎年ユネスコが開催するモバイルラーニングウィーク期間中の目玉イベントとして、AIの開発・発展に伴う倫理的・社会的・法的課題について議論された。「教育におけるAI使用に関する機会と脅威は何か」に焦点を当てた複数のイベントが開催され、特にAIに仕事を奪われると不安が広がる中、教育現場でのAI利活用と学習強化、教育における公平なAIの使用、AI時代のスキル開発などがテーマとなっていた。
90年代後半、インターネットが一般家庭にも普及し、教育現場でもインターネットやパソコン、電子黒板、デジタル教材、VRコンテンツなどを使うICT利活用が進んだ。教育とICTの組み合わせは先進国の教育の質の向上に限らず、開発途上国の教育の機会と質を高める効果も大きかった。教育現場にICTが導入されたことで、学校のあり方、教室のあり方、教師の教授法なども大きく変わるしかなかった。では、今起きている教育とAIの出会いはどのような変化をもたらすだろうか。
すでに始まっているAI導入
韓国では教育現場のAI利活用がすでに始まっている。韓国政府は2019年下半期から小中高校でAIを使って学習アドバイスを行う「知能型学習分析プラットフォーム」と小学校低学年向けの「数学AI」を導入することにした。
これに先立ち2018年からは中学校で、2019年からは小学校で正規科目としてプログラミングを教えている。学校でプログラミングを教える目的はプログラミングができる人を育てたいというよりは、論理的に問題を解決していく考え方を身につける、コンピュテーショナルシンキング(computational thinking)ができる人を育てることである。これからはどんな場面でもAIの利活用が欠かせないと想定し、AIに問題を理解させ解決策を導く方法の基礎を学ぶのがプログラミングというわけだ。 2018年からは卒業後すぐ就職する学生が多い工業高校や商業高校でインダストリー4.0に関連する科目を新設、スマートヘルスケア、スマートファクトリー、自動運転などAIの登場によって起きている産業界の変化をある程度学べるようにした。
しかしある日突然学校にAIがやってきたわけではない。学校の情報化、教師の情報化、教育の情報化の地道な積み重ねでここまできたといえる。
社会全体に危機感をもたらしたAlphaGoショック
韓国では政府や有職者によるAI議論より前に、全国民が「AI時代到来!」と衝撃を受けた出来事があった。2016年3月の「AlphaGoショック」である。これをきっかけに、「AIの登場で韓国は今までとはまったく違う社会になる。しかも変化のスピードは予想以上に速い」「AI社会とは他人ごとではなく自分の身に起きていること」と全国民が身に染みて思い知らされた。
AlphaGoはGoogle DeepMindが開発したコンピュータ囲碁プログラムで、ハンディ―キャップなしで人間のプロ囲碁棋士に勝った最初のAIである。2016年3月、AlphaGoは世界トップレベルのプロ囲碁棋士である李世乭(イ・セドル)と対戦した。李世乭棋士はコンピューターには負けないと自信を見せたが、結果は4勝1敗でAlphaGoが勝利した。当時韓国ではAIが人間と囲碁対決をして勝つにはまだ時間がかかる、AIはまだそこまで優秀ではないと思われていたため、ショックが大きかった。
その後2017年に発表されたAlphaGoの新バージョンであるAlphaGo Zeroは、人間の対局データを学習するのではなく自分自身と対局して学習し、以前のAlphaGoよりさらに囲碁に強くなった。AlphaGo Zeroは人間から学習しないことで、逆に学ぶ知識を制約されなかったのが特徴といえる。人間がAIを学習させるのではなく、AIが自分で学習してどんどん進化していく様子を目の当たりにした韓国では、「このままではだめだ」という認識が子どもからお年寄りにまで広がった。
20年前にはデジタル教科書がスタート
AlphaGoショックの20年前にあたる1997年、韓国では「19世紀の教室で20世紀の教師が21世紀の子どもを教えている」という危機感から、情報化時代に合った教育の改革を求める声が大きくなった。そこで1997年から学校の情報化、教師の情報化、校務の情報化、教科書や学習資料の情報化などの取り組みが進んだ。当時は「サイバー学習教材」という名前でデジタル教科書の研究がスタート。2004年には小学校の社会と理科で初の「電子教科書」が完成、一部の学校で使用を開始した。デジタル教科書の目標はすべての子どもを包容する教育、地域や所得の格差などに関係なく、勉強したい意欲のある子どもに十分な学習機会を与えることだった。
韓国教育部(日本の文部科学省にあたる)によると、デジタル教科書とは「既存の紙の教科書の内容に用語辞典、マルチメディア資料、テスト、補習・深化学習資料など豊富な学習資料と学習サポートおよびマネージメント機能を追加し、EDUNET・T-CLEARなど外部資料とも連携できる教科書」である。
EDUNETは1996年に教育情報総合サイトとして教育部がオープンした総合学習情報サイトで、幼児・小学生・中学生・高校生・保護者・教師向けに入口を分けて情報を提供している。T-CLEARは2016年に教育部がオープンした教師に必要な教育課程、学習・評価・教育政策の資料をまとめて提供するサイトで、教師の間で学習資料を共有したり情報交換したりできるコミュニケーション機能もある。
EDUNETはデジタル教科書とデジタル教材を提供する政府のサイト
デジタル教科書はインターネットに接続していればどこからでもアクセスできるため、学校では備え付けのタブレットパソコンを使って学習し、自宅では家のパソコンから予習復習できる。デジタル教科書に自分が書き込んだ内容や先生のコメント、テスト結果、学習履歴なども読み込める。インターネットにつながってさえいればどこでも学習できることから、長期入院している子どもや、障害がある子どものためにも使われている。
総合教育行政情報システム(NEIS)のサイト。教育の情報化に先立ち韓国政府が真っ先に進めたのが教師の情報化と校務の情報化だ。NEISでは全国の学校と教育委員会、教育部(庁)の資料を連携、学生の成績や学校生活の記録を一括管理し、保護者と学生はいつでも自分の記録にアクセスできる。転校や進学の際に紙の資料を持ち運ぶ必要がなくなったうえ、校務の情報化で教師の書類作業が大幅に減り、授業準備に集中できるようになった
「教師は教える人ではなくコーチに」
2005年にはタブレット端末向けの小学校の算数の電子教科書が完成し、一部の学校で使用され始めた。だがこの時はまだ紙の教科書をPDFにして、ハイパーリンクをクリックすると写真やアニメが登場するといった程度のものだった。
2007年、教育部は教育環境の変化に伴う「デジタル教科書常用化推進方案」を発表。各自が自分の学習レベルにあった教科書を使い「自己主導学習」できるようにするためのデジタル教科書開発を後押しした。自己主導学習とは、日本でも2013年前後話題になった反転学習に近いものだ。
2007年に韓国のデジタル教科書見学で訪れたソウル市と仁川市の小学校では、小学校5年生が社会科のデジタル教科書を使って自宅で予習し、授業中は予習したことをグループで討論、討論の結果をその場でパワーポイントを使ってプレゼン資料にまとめ発表していた。先生は参考になる資料を紹介したり討論を導いたり、子どもたちの発表内容を聞いて質問する役になっていた。授業内容や子どもたちのプレゼン資料、学校で行われていることはすべて「学級SNS」という担任教師・学生・保護者だけが参加できるSNSに掲載、保護者もコメントを書き込むなどして積極的に子どもの教育に参加しているのも印象的だった。デジタル教科書で授業をしていた先生が「これから教師は教える人ではなくコーチのような存在にならないといけない」と言っていて、とても新鮮だった。
教師の情熱と使命感が学校教育を変える
さらに、全国の小学校教師らがデジタル教科書開発のためボランティアで研究グループに参加したり、どのように討論を導いたらいいのかアイデアや経験をSNSで共有したり、デジタル教科書と一緒に使うとよい著作権フリーのマルチメディア資料を教えあったりするのも驚きだった。
「学校教育も時代に合わせて変わらないといけない。今のままではだめ」という教師の情熱がなければ、韓国の学校情報化もデジタル教科書も、AI導入も実現できなかったのではないかと思わずにいられない。韓国で教師は最もなりたい職業の一つであり、採用試験の倍率は地域と科目によって差はあるが、2019年度新規教師採用試験では最高43倍を記録したほどである。定年まで安泰の職業なので保守的で変化を恐れると思われがちだが、実際は違った。ものすごい競争を経て教師になったからか、使命感に燃えていたのだ。
次回は教育現場でのAI導入、AI時代に向けたクリエイティブな人材育成を目指して学校では何をしたのか、何をしなくなったのか、について紹介する。
趙 章恩=(ITジャーナリスト)
HUAWAVE
2019.3.
-Original column