放送と通信の融合による新しいビジネスとして韓国でも注目され続けたIPTVがついに「商用化」されることになった。これまでも番組単位のVOD(ビデオ・オン・デマンド)などはあったが、地上波放送をリアルタイムで再送信するIPTVが11月中旬以降に全国規模で始まる予定だ。
IPTVは通信なのか放送なのか――。地上波放送を電波ではなくIPネットワークでリアルタイムで送信するための最大の障壁は、伝統的な通信・放送法制の存在だった。IPTVを「放送法」と「情報通信網利用促進及び情報保護等に関する法」のどちらで規制するべきか。韓国ではこの問題を解決するために、2004年から長い議論を続けた末に2007年12月28日、IPTV特別法といわれる「インターネットマルチメディア放送事業法」が制定された。
現政権も2008年3月に省庁再編で情報通信部と放送委員会を統合したことでわかるように放送・通信の融合には積極的で、その象徴であるIPTV商用化に力を入れている。6月には「インターネットマルチメディア放送事業法施行令」も制定され、具体的なサービスガイドラインも決まった。
SK BroadbandのIPTVサービスを視察する韓国国会議員
■「Pre-IPTV」から本格商用化へ
ここでいう商用化とは、地上波放送のリアルタイム再送信を含むIPTVである。今までも通信大手のKTやSK Broadband(旧Hanaro Telecom)は、テレビとセットトップボックス、インターネットをつなげてドラマや映画をVODで視聴できるサービスを提供してきたが、これは地上波放送の再送信を含まない「Pre-IPTV」だった。今回、IPTV特別法という第三の法律をつくることで、いよいよ本格的なIPTV時代が始まる。
IPTV特別法と施行令の主な内容は、(1)IPTV事業者はIP経由で地上波放送をリアルタイム再送信できるようにし放送事業者にその対価を払う、(2)IPTVは全国を一つの事業圏域にする、(3)電気通信設備の開放とコンテンツ同等アクセスを守る、(4)資産総額10兆ウォン以上の企業グループはIPTV事業者になれない、(5)新聞社・外国法人・外国人はIPTV事業者の株を49%以上所有できない、(6)1社で50チャンネル以上を運営する――などである。
現行法では判断が難しかった部分をうまくまとめたように見える特別法だが、既存の放送業界の枠組みを大きく変えるだけに、法制定以降も論争は収まっていない。
■対価決まらないまま見切り発車
CATVの場合、地上波放送をリアルタイムで再送信していても対価は支払っていない。これに対し、IPTV事業者は対価を支払うと特別法で決めたのはいいが、その金額については事業者と放送局の個別交渉に委ねたため、なかなか決着がつかないのだ。
放送局側はここぞとばかり強気に出て、IPTV事業者の年間売り上げ規模よりも高い金額を要求している。KTのように資金力のある事業者は新規ビジネスへの投資として応じられるかもしれないが、中小IPTV事業者がネットワークを持たずにチャンネルサービスだけを始めようとしても、手が届かないことは十分考えられる。
対価を巡っての交渉がなかなかまとまらないため、韓国が得意とする「まずやってみて、後から細かいことは決める」方式となった。まず3カ月間地上波放送のリアルタイム再送信を提供し、視聴率や加入者推移を見て対価の交渉を再開するという。
しかし3カ月後に交渉が決裂した場合はどうなるのか。いきなり放送中断ということにでもなれば、笑い話ではすまない。Pre-IPTVは3年契約で基本料が月8000ウォン(通信料別)ほどだが、IPTVになれば地上波放送の視聴料が含まれるため2倍近い料金になる見込みだ。交渉の結果、IPTVの利用料が高くなりすぎると、韓国の社会問題にもなっている所得格差によるデジタルデバイドがさらに深刻化するのではないかと懸念されている。
■番組プロバイダーは板ばさみ
一方、CATVとの競合問題もくすぶっている。現在取りざたされているのは、番組プロバイダーがCATVとの関係を気遣い、コンテンツ同等アクセスの規定があるにもかかわらず、IPTVにコンテンツを提供するのを躊躇っているという問題だ。IPTVはチャンネルを最低50以上は確保しないといけないが、CATVや衛星放送でチャンネルを運営している番組プロバイダーの協力なしに枠を埋めるのは不可能だ。
韓国では全世帯の84%が難視聴などを理由にCATVや衛星放送に加入している。しかしIPTVが始まれば、加入者らがより安い費用でもっとたくさんのチャンネルを視聴できるIPTVに乗り換えることは避けられないと予想されている。CATVは当然、IPTVを目の敵にしている。
CATV事業者もデジタル対応を進め、テレビとインターネットをつなげて地上波放送とVODを利用できるようにしている。ユーザーから見ればIPTVもデジタルCATVも同じサービスに見える。しかしIPTVは全国事業で、CATVは全国を77地域に分けて、該当地域でしかサービスできないよう規制されている。CATV側は、「IPTV特別法はCATVを潰すためにできたようなもの」と反発し、番組プロバイダーも長い付き合いのあるCATVを裏切ることもできず板ばさみの状態にある。
■自前ネットワークで囲い込みの気配
韓国で行われたIPTV展示会
IPTV事業者間でも、特別法を巡ってあつれきが生じそうな気配だ。IPTV特別法では、例えばKTの加入者がSK BroadbandのIPTVを選択したり、ネットワークを持たない事業者がIPTVサービスに参入したりといったことができるよう、電気通信設備の開放を明記している。ところが、KTはこれを守れないという発言をやんわりとしている。通信事業者の競争力や投資効率を落とすことになるというのだ。
現在認可がおりたIPTV事業者はKT、SK Broadband、LG Dacomの3社で、全てネットワークを保有している通信会社である。しかし、実はもう1社、自前のネットワークを持たずにIPTVのチャンネルサービスだけを提供することをめざした「オープンIPTV」という計画があった。KTやSK Broadbandなどの回線に加入しているユーザーのIPTV選択権を増やすという意味で期待されていたのだが、ネットワーク同等アクセスの不安、資金確保の問題から、結局法人を解散するに至った。
政府の意図はネットワークを持たなくてもIPTV事業者なれるようにして、インターネットビジネスをより多様化、活性化させることにある。だが、早くも自前のネットワーク設備なしでは難しいということが既成事実化されつつある。
■なし崩しの規制緩和に反対論も
特別法で最も大きな論争を巻き起こしたのは、IPTV事業者になれる企業の基準である。放送法の施行令では資産総額3兆ウォン未満の企業だけが放送事業者になれるとしているが、IPTV特別法はこれを10兆ウォンに緩和し、IPTVの基準に合わせて放送法施行令も改定しようとしている。
これに対しては言論界を中心に、大手財閥企業が放送まで掌握する可能性があると上限緩和に反対している。特別法を制定して規制を緩和し、元の法律をそれに合わせて改定するという方法に対しても、「黙認してはならない」と反発が出ている。
■ネットワーク品質保証で普及狙う
法律の外でも変化があった。安定したIPTVサービス提供のため、政府は最高100Mbpsと宣伝するブロードバンドサービスに対しては最低保証速度を下り1~5Mbpsから30Mbps以上に引き上げるよう勧告した。事業者らも約款に最低実測で30Mbps以上の速度が出ない場合は利用料の払い戻すこと、または長期契約した場合でも違約金なしで解約できることを明記する方向へ動いている。
日本では通信回線の速度はベストエフォート方式だが、韓国では2002年から最低保証速度制度が始まった。日本にNGN(次世代ネットワーク)があるように韓国にはBcN(Broadband Convergence Network)と呼ぶ計画がある。電話・放送・インターネットを統合した広帯域マルチメディアサービスを安心して使える品質保証ネットワークで、有線でも無線でも50Mbps以上の速度を提供することを目標としている。政府はネットワーク高度化への投資促進とIPTV普及を進めるうえで、ネットワーク品質の保証制度が重要と考えているようだ。
IPTV商用化は11月中旬以降にスタートする予定だが、当初は遅くとも10月には始まるといわれていた。法律制定から10カ月が経過した今でもまだ山あり谷ありの状態というわけだ。
■双方向通信で新サービス
ただし、視聴者にとってはそんな裏側の事情はどうでもよく、IPTVに加入したらどんな新しいサービスを楽しめるかにしか関心はない。KT、SK Broadband、LG Dacomの3社もこれは熟知していて、最近のIPTV広告は面白い双方向サービスと操作しやすいリモコンに焦点が置かれている。
インターネットサービス事業者と提携した検索、テレビから携帯電話へのショートメッセージ送信、天気・交通・ニュース情報提供といった新サービスや新コンテンツは今もどんどん増えている。IPTV事業者3社の今後5年間のコンテンツ投資規模はKTが4700億ウォン、SK Broadbandが5000億ウォン、LG Dacomが2433億ウォンと計1兆2000億ウォン(約800億円)を超える規模が見込まれている。
KTのユーザー参加型コンテンツの画面
■最大手KTは「双方向ドラマ」も
KTはUCC(User Created Contents)、ユーザー投稿型動画を利用した芸能人オーディション、ユーザーが作るニュース、マイストーリーなどを放送する「チャンネルU」を始める。提携先の番組制作会社オリーブナインの協力を得て、「チャンネルU」で人気が出た動画の主人公は、俳優やレポーターとしてデビューできるようバックアップするという。
またIPTVとしては初めて、映画制作にも乗り出す。双方向ドラマの制作計画もあり、リモコンでドラマのBGMを選択したり、ストーリー展開や結末を変えられるという。テレビとリモコンを使った検索にも力をいれ、ドラマを見ながら主人公が着ている衣装を購入したり、BGMや撮影ロケ地情報を検索して関連商品を購入したりできるようにするサービスも2009年から商用化する。
IPTVを使った山間離島地域の小学校での教育実験サービス「Tスクール」も始める。多様な教育を受けるチャンスがない過疎地域に住む子供たちにIPTVで双方向教育を提供する実験で、2009年まで1年間予定されている。
ボタンが多くて何を押したらいいのか分からないと不満が多かったリモコンも改良を進めている。動作認識を採用してリモコンを握ったまま動かすだけでメニューを選択できる機能やテレビの画面にカーソルを表示してリモコンをマウスのように動かせる機能などを盛り込み、ボタンの数を減らす努力をしている。
IPTVを使ったEラーニング番組の画面
■Eラーニング方式で模擬試験
SK Broadbandも双方向教育に力を入れている。Eラーニングサイトと提携して中学生向けの模擬試験を提供している。決まった時間内にリモコンを利用して問題を解くと、すぐ採点し動画で問題解説をしてくれる。
英語字幕か字幕なしを選択できる映画も提供する。SK BroadbandはPre-IPTVの頃からディズニー、20世紀FOXなどハリウッド7大メジャー映画会社や地上波放送4社(番組放映の24時間後に有料VODで公開、放映から7日後の再放送VODは無料視聴)をはじめ430社と契約し、9万本以上のVODコンテンツを確保している。LG Dacomもリモコンでできるオンラインゲーム、カラオケ、検索などの有料双方向サービスを始めた。
■新収益育成へ大規模投資
何よりもコンテンツが大事といわれ続けているIPTVだが、予想しなかった問題として最近浮上しているのが、IPTVのDRM(デジタル著作権管理)を無効にするハッキングソフトの流通だ。IPTVで提供されている映画の高画質VODがコピーされP2Pサイトに出回っているという。どんな高度な最新技術でDRMを開発しても、数日で破られてしまう。コンテンツを守るためにはハッキングとの戦いも覚悟しなくてはならない。
四方に敵だらけ、次から次へと壁が立ちはだかるなか、通信事業者がIPTVを商用化するため投資を惜しまず突き進んできた理由はただ一つ。新規加入の頭打ち、料金割引競争による収益悪化から会社を救ってくれる新規ビジネスはIPTV以外にないからだ。
LG Dacomは2007年12月にPre-IPTVサービスを始め、料金割引競争が激しいにもかかわらず2008年7~9月期の売上高が前年同期比178%増加している。2008年9月時点のIPTV3社の加入世帯数はKTが80万、SK Broadbandが76万、LG Dacomが4万である。韓国電子通信研究院は2012年にはIPTV事業者の売上高が計1兆2000億ウォン(約800億円)を超えるだろうと予測している。とはいえ、通信最大手のKTが資金力を武器に価格競争を仕掛ければ、共倒れになるというリスクはある。
地上波放送のリアルタイム再送信は確かにキラーコンテンツではあるが、それだけに頼っては必ずしもIPTVが順調に離陸するとは限らない。テレビ離れという最近の傾向だけでなく、放送局が自社ホームページから「On air」サービスとしてテレビと同じ画面をそのままリアルタイムで流しているという韓国独自の事情がある。「ダシボギ」という有料VODも盛んで、ほぼすべての番組がVODで流通している。
VODを購入してパソコンや携帯型端末から見たい時間に見たい場所で見るという視聴スタイルが増えるなか、着実に公正にIPTV商用化の一歩を踏み出してほしい。
– 趙 章恩
NIKKEI NET
インターネット:連載・コラム
2008年10月30日