[日本と韓国の交差点] 「封鎖」と「太陽」に揺れる韓国の対北政策

 2012年12月に行われる韓国大統領選挙に向けて、各政党は大統領候補選びが終わった。政党ごとに一人ずついる候補の中から、国民投票によって大統領を決める。


 野党の民主統合党は、文在寅(ムン・ジェイン)氏を大統領候補に選んだ。全国の党員による投票で、5人の候補の中から選抜した。ムン・ジェイン氏は故盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の秘書を務めた人物で、大学生から30代まで若年層に人気が高い。与党のセヌリ党は今のところ、朴槿恵(パク・グンヘ)氏が大統領候補に出馬する。


 毎回、選挙が近づくにつれ大統領候補たちは、新聞やテレビのインタビューに毎日のように登場するようになる。インタビューのテーマは主に、景気・雇用回復や社会福祉などの政策に関する話。だが2012年は、各候補の対北朝鮮政策を聞く機会がこれまでより増えた。北朝鮮が韓国からの救護物資を断り、李明博(イ・ミョンバク)大統領を猛烈に非難しているからだ。北は、他の国からの支援は受け入れている。


 2012年、韓国と北朝鮮は自然災害に相次いで見舞われている。7~8月は干ばつ。9月には台風14号、15号、16号が到来し、甚大な水害が発生した。韓国では死亡15人、負傷5人、住宅と収穫直前の農作物が浸水する被害があった。北朝鮮の被害はもっとひどかった。北朝鮮のテレビ局である朝鮮中央通信によると、水害による死亡・負傷が100人以上、7000世帯を超える住宅が浸水、3万人以上の人が住む家をなくしたという。


 水害に遭った北朝鮮市民を支援するため、大韓赤十字は9月3日、北朝鮮赤十字に救護物資を提供すると提案した。北朝鮮赤十字が国際救護団体に対して、水害の悲惨さを訴え、救護物資を要請していた。これを見て、同じ民族として黙っているわけにはいかない、ということで支援が決まった。大韓赤十字の提案は統一部(北朝鮮関連政策を担当する省庁)の提案でもある。



李明博時代、冷え込み続けた南北関係



 李明博大統領が2008年に就任して以来、今日まで、韓国と北朝鮮の関係は冷え切ったままである。1998年から2008年まで、故金大中(キム・デジュン)大統領と故盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領は太陽政策(旅人のマントを脱がせるのは強い風ではなく暖かい太陽だったというイソップ寓話からとった名前)を進めた。北朝鮮に対して無条件で物資を供給することで、北朝鮮が心を開き、南北関係も良くなると期待していた。


 ところが李明博大統領は、太陽政策を中断した。支援のため北朝鮮に送ったお金と物資を元に、北朝鮮軍はミサイルを作り軍事力を強化している、との理由だ。李大統領も、北朝鮮に災害が発生した時には人道的支援として食糧を供給した。けれども、南北の関係は悪くなるばかりだった。



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