[日本と韓国の交差点] 北朝鮮の犠牲になった兵士を忘れない~クラウドファンディングで追悼映画

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ソウル市の真ん中、龍山区に龍山戦争記念館がある。陸軍本部の跡地に、1994年6月に開館した。戦争の記録を保存・展示することで、戦争のない平和な統一をしようというメッセージを広く市民に伝えるための場所である。朝鮮戦争で戦死した兵士や、停戦協定発効後に北朝鮮の攻撃によって戦死した兵士を追悼するための式典も行っている。

 館内の巨大な回廊には、朝鮮戦争(韓国では「韓国戦争」と呼ぶ)で犠牲になった韓国軍の兵士だけでなく、国連軍の戦死者20万人の碑銘もある。このため、国連軍として朝鮮戦争に参戦した国の首脳が韓国を訪問する際には必ずここを参拝する。


 戦争記念館というと怖いイメージがあるが、そんなことはない。セミナールームやコンサート会場もあり、有名人の結婚式やアイドル歌手のイベント会場としてもよく使われている。


 戦争記念館は屋外に、実際に戦争に使われたミサイルや戦車、ヘリコプターなどを展示している。さらに、2002年に北朝鮮の砲撃を受けて沈没した韓国海軍の哨戒艇の実物大模型も展示している。哨戒艇は弾丸の痕までそのまま再現してある。中に入ると、どの場所で誰が戦死したのかまで詳細に分かる。


サッカーW杯のかげで6人が戦死


 戦争記念館にあるこの哨戒艇は、2002年6月29日に起きた第2ヨンピョン海戦で被害を受けたものである。第2ヨンピョン海戦は、北朝鮮の警備艇が黄海(韓国では「西海」と呼ぶ)のNLL(北方限界線、Northern Limit Line)を越えて侵入し、韓国海軍哨戒艇357号に発砲した。乗組員のうち6人が戦死、19人が負傷した。同艦は帰還する途中で沈没した。


 戦死した少領(少佐)、中士、兵長らは21~29歳の若者だった。その中の1人、パク・ドンヒョク兵長は大学生で、兵役を果たすため海軍に入った。弟が大学に合格した時、両親が2人分の大学授業料を払うのは経済的に大変だからと、徴兵で軍に行く時期を前倒しにした。あと数カ月で除隊し、大学に戻るはずだった。


 パク兵長は重傷――脚を切断、臓器損傷も激しかった――を負いながらも、病院で84日耐えた。だが、家族の元へ戻ることはできなかった。火葬したパク兵長の遺体には3キログラムもの弾丸と金属破片が残っていたという。徴兵でわが子が軍に行かせている親たちにとって、これは他人事とは思えない事件である。


 ところが、第2ヨンピョン海戦が起きた2002年6月29日、韓国はワールドカップで盛り上がっていた。この日はちょうど、韓国がベスト4に入れるかどうかを決める最後の試合が行われた日だった。第2ヨンピョン海戦は、ワールドカップの話題に埋もれて忘れ去られてしまった。当時の金大中大統領は北朝鮮を援助する立場だったので、北朝鮮がNLLを越えて韓国の領海に侵入し、韓国軍を攻撃した事実を公にするのを恐れたのかもしれない。


 しかし、彼らの犠牲を忘れてはならないという活動は地道に続けられた。6人の犠牲を忘れないため、海軍は2008年から2011年にかけて新しく進水した高速艇6隻に戦死した6人の名前を付けた。



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