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韓国で7月30日に封切された映画「鳴梁(ミョンリャン)」が韓国映画興行記録を塗り替えた。8月24日時点で、累積観客数が1600万人を超えた(韓国映画振興委員会のチケット発券枚数統計基準)。これは韓国映画史上初の大台だ。これまでの歴代1位は同1360万人を動員した「アバタ―」だった。
このほかにも、封切初日最多観客数(68万人)、1日最多観客数(125万人)の記録を達成した。「鳴梁」は朴槿恵大統領が映画館でチケットを買って、一般観客に交じって鑑賞したことでも話題になった。
日本の一部メディアは「韓国で抗日映画が大ヒットしている」と紹介するが、「鳴梁」が韓国でヒットした理由はほかにある。韓国メディアや韓国の映画評論家が分析した要因の一つは主人公・李舜臣(イ・スンシン)将軍のリーダーシップ、もう一つは財閥系映画配給会社による映画館独占である。
李舜臣将軍のリーダーシップに感銘
韓国のほとんどの映画雑誌や映画番組は「鳴梁」がヒットした要因を「今の韓国人がほしがっているリーダーシップ、本物のリーダーシップとは何かを見せてくれる映画だから成功した」と分析している。書店には李舜臣将軍が残した日記を現代の韓国語に翻訳した本や、李舜臣将軍を主人公にした歴史小説、リーダーシップに関する本が平積みされている。
この映画は、鳴梁海戦をモチーフにしている。鳴梁海戦は、朝鮮時代の1597年、李舜臣将軍が率いる朝鮮水軍がたった13隻の船で、133隻もの大軍で攻めてきた日本水軍に勝ったという出来事だ。韓国では朝鮮水軍が大勝したことから、鳴梁海戦を鳴梁大捷という。日本では慶長の役として知られている。「鳴梁」は歴史上の出来事を描いているが、映画の内容がすべて事実というわけではない。それは韓国の観客も知っている。
李舜臣将軍は1592年から7年続いた壬辰倭亂(日本では文禄・慶長の役)当時、日本水軍と戦って23戦23勝の功績を残した将軍である。韓国では壬辰倭亂から朝鮮を守った聖雄(聖なる英雄)と呼ばれ、ソウル市の真ん中にある光化門広場に銅像がある。
映画では朝鮮水軍がどうやって日本水軍に勝ったのかを見せる戦闘シーンが1時間近く続くが、「日本に勝った、よかった」で終わる映画ではない。当時の朝鮮の苦しい状況を描き、李舜臣将軍のリーダーシップと平民の活躍に焦点を当てている。
1592年から日本と戦争が続き、朝鮮の平民たちは苦しむばかりであった。日本水軍は朝鮮水軍に勝利し続け、朝鮮水軍の将軍のほとんどが戦死した。一時は漢陽(現在のソウル)を捨てて避難していた朝鮮の王は、李舜臣将軍を呼び戻した。李舜臣将軍はそれまで、政治家たちから嫉妬され、功績が認められず、役職まで奪われていた。
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