2006年3月、ソウルの地下鉄2号線シンダン駅で、車両とプラットフォームの間に人が挟まれる事件があった。地下鉄は運行を中断。悲鳴が聞こえる中、地下鉄から降りた人たちは車両を押し始めた。車両をプラットフォームの反対側に押してスペースを確保し、挟まった人を引き上げようとしたのだ。
当時現場にいた人がネットに寄せた投稿によると、地下鉄に乗っていた人、プラットフォームにいた人、老若男女関係なくみんなが車両を押したという。ソウル地下鉄公社によると、地下鉄車両の重さは33トン。乗客らはこの大きな重い車両を押して、救出を成功させた。乗客が一斉に車両を押している写真は、ポータルサイトの掲示板やブログに掲載され、「団結力のある韓国人の国民性を象徴するもの」「韓国を泣かした写真」として注目を集めた、「私たちはみんな誰かの英雄です」というSKテレコムのブランド広告にも使われた。
2010年7月には、バスに轢かれた人を助けようと、乗客がみんな降りてバスを持ち上げた美談が話題になった。通行量の多い道路の真ん中で、知らない人同士が力を合わせて人を助けた話に皆が感動した。
こういう美談が象徴するように、不意を見て、見ぬふりできないのが韓国人の情と言われてきた。ところが、この頃は怖いニュースばかりが耳に入る。バスの中で黒人が韓国人の老人に暴行を働いたのに、誰も――携帯電話で動画を撮るだけで――止めなかった。地下鉄内で若い男性が大声で老人を罵っているのに、誰も止めなかった。他人が危ない状況に置かれているのに、見ぬふりをする。後になって「こんなことがあった」とネットに動画を投稿する。こんなことが頻繁に起きている。
痴漢に注意したら
さらに怖いと思ったのは、人を助けようとした人が加害者になってしまうことである。
2011年3月、障害のある子どもたちが利用するスクールバスの中で、障害のある男子学生が、前の座席に座っていた女子学生に痴漢行為を働いた。バスの中にいた教師が注意すると、逆上して教師に殴りかかった。そこで運転手がバスを停めて男子学生を取り押さえようとして殴った。この行為が傷害罪に問われ、1審で懲役6カ月執行猶予2年の判決を受けた。
ポータルサイトのDAUMには、バス運転手の無罪を訴える署名が1週間で5200人分集まった。「人を助けるため暴力を振るうしかなかった状況なのに懲役はひどい」「こんに判決を受けるならば、誰も人を助けようとしないだろう」との抗議が巻き起こった。その甲斐があったのか、2審では罰金100万ウォンとなった。ただし、それでも正当防衛にはならなかった。
痴漢行為をして暴れる人を取り押さえたにも関わらず、正当防衛どころか逆に傷害罪を受けそうなった。この判決は、法律を変える必要があるのではないかと人々に思わせた。さらに「被害者を助けようと善意で行動しても、自分が加害者になってしまう可能性が十分ある」「巻き込まれたくない。私じゃなくても誰かが助けるだろう」という、人を傍観者にする役割を果たしたように思う。
刑法21条1項は、自分や他人の法益(法律で保護される利益、命、身体、財産、自由、名誉、信用)に対する現在の不当な侵害を防衛するための行為は、相当な理由がある限り処罰しないとしている。「現在」とあるのは、過去の不当な侵害に対する抗議はこの項の対象ではないという意味だ。こうした条文があるにもかかわらず、現実には、被害者を助けようとした人が加害者になってしまう。
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By 趙 章恩
2011年10月5
-Original column
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20110909/222533/