【第三回】
プルコギの原型は高句麗の「貊炙」
キムチと並び韓国を代表する料理「プルコギ」。プルコギの由来についてはいろんな説がありますが、高句麗時代の「貊炙」(メグジョッ)がプルコギになったという説が最も有力です。高句麗は騎馬民族で非遊牧民、一定した住居を持ちながら畑も耕し、狩りもしました。貊炙は「にんにく・醤油・味噌などで味付けして壷に入れておいた肉を串に刺して炭で焼いて食べるもの」でした。中国の古書に「晋の国(265~316)の人たちは異国の貊炙を食べ過ぎるので問題」とまで登場するように、貊炙は高句麗から中国、百済、新羅に広がっていきました。古墳の壁画には、串に刺した肉を保存する肉庫が台所の隣に描いてあります。
高句麗の人たちは肉だけを食べていたわけではなく、鉄で鍋を作り米や穀物を蒸してご飯を食べたり、唐辛子が入っていないキムチ、つまり白菜と大根、にんにく、ねぎ、しょうが、塩で発酵させたキムチも食べました。唐辛子が韓国に入ってきたのは朝鮮時代中期です。おやつとして、桃をはじめとする果物もあれこれ食べていたようです。
肉と酒は高句麗人の必需品!?
高句麗は国民の同盟を何よりも大事にする国でした。毎年10月には、盛大な「同盟祭り」が開催されていました。高句麗の建国を祝い、王様から貴族、農民まで身分に関係なくみんなが集まり、夜遅くまで飲んで食べて歌って踊った愉快な祭りでした。戦が多かったけれど、人生を楽しむゆとりもあったんですね。
古墳の壁画にも楽器を演奏する人、踊る人がよく登場します。シルム(韓国の相撲)、猿回しや玉投げなどサーカスのような公演、鬼ごっこ、囲碁、ユッノリ(伝統遊びで、お正月になると家族が集まり楽しむゲーム。木で作った5本の棒「ユッ」を投げ、裏表の組み合わせで1~5までの数字が決まり、ノリパンの上のこまを動かして先にゴールしたチームの勝ちですが、地方ごとにルールが違い、実際ゲームをしてみるとスリル満点)、サッカーのようなチュックックという遊びや、伝統武術テクォンドの原型になったスバクという武芸を競い合う場面も描いてあって、本当に楽しそうです。
身分、性別、年齢に関係なくみんなが一緒になって盛り上がる高句麗の精神は、2002年ワールドカップの街角応援を思い出せばよくわかると思います。こういう祭りに欠かせないのが肉と酒だったようで、高句麗時代からすでに酒を専門的に造る村があり、これを売買したと記録されています。
地方色豊かなプルコギ
統一新羅時代を経て高麗時代になると、仏教の影響から肉をあまり食べなくなりました。その後、モンゴルに侵略され支配された高麗後期になると貊炙は再び一般的な料理として定着しました。串で刺して焼かず、網で焼いたり鍋で焼いたり、焼く方法は時代によって変わりました。肉もいのしし、豚から牛肉へ変わり、今でもプルコギ、カルビといえば牛肉です。
朝鮮時代にはこれが宮中料理「ノビアニ」に発展しました。ノビアニは肉を平たくのばし、包丁で細かく刻みを入れ、やわらかくしてから焼く料理で、味付けされた薄いステーキのような、プルコギとはまた違うものでした。ヤンバン(貴族)の間では雪降る夜に部屋の中で焼いて温かく食べる季節料理として、プルコギやカルビが好まれました。
プルコギは地方によって味付けや焼き方が微妙に違います。ソウルでは、きのこと味付けされた薄い牛肉を専用の鍋に入れて焼いて、鍋の端にたまった肉汁を一緒にご飯にかけて食べるのが普通のプルコギです。全羅南道のグァンヤンプルコギは、形はプルコギですが、炭と網を使いカルビのような焼き方をします。味もソウルよりしっかりしていて、カルビよりやわらかく食べやすいため、全羅道を代表する料理になりました。
牛肉の値段が高かった韓国では、ごちそう、おもてなしといえばプルコギでしたが、輸入肉が安く手に入るようになってからは、スーパーで味付けされたプルコギを買ってきて焼くだけのお手頃で手軽な料理へとイメージが変わってきました。日本でも和牛が高級であるように、韓牛(ハンウ)のプルコギやカルビは値段も数倍高く、今でも高級料理です。
プルコギの原型「貊炙」。ドラマのシーンで登場するか要チェックです!
– BY 趙章恩
Original column
http://ni-korea.jp/entertainment/essay/index.php?id=03