【第六回】
古墳壁画に描かれた高句麗文化の数々
国が途絶えて14世紀ほど経った今でも、高句麗の歴史は韓国文化に大きな影響を及ぼしています。高句麗文化の特徴は古墳壁画によく現われています。騎馬行列、狩猟、シルム(韓国の相撲)、踊る人、料理する人、宴会を楽しんでいる人々など、壁画には覇気溢れる高句麗文化が上手く表現されています。高句麗人は囲碁、将棋、ユッノリと投壺(弓を投げて壺の中に入れるゲーム)などの遊びを楽しみました。ユッノリは、今でもお正月に家族が集まるとよくやっている「すごろく」のようなゲームです。
またシルムと手搏(スバッ)という競技も楽しみました。手搏は素手で自分を防衛するための武術で、高麗時代、朝鮮時代を経て韓国の国技でありオリンピックの正式種目でもある跆拳道(テコンドー)に発展しました。古墳の壁画には、高句麗人の男性がシルムをしたり応援する絵が描かれていますが、今のシルムとその形式がほとんど同じなのは驚きです。韓国のシルムも土俵からはみ出た人の負けですが、衣装や技は日本とはまた違います。壁画にはこの他にも、西域から伝わったサーカスや音楽演奏会を観覧する人々の姿もあります。高句麗時代には楽器や音楽が盛んに作られただけに、自ら琴や笛を演奏するのを楽しんだ人も多かったそうです。
結婚式より葬儀を大切にした高句麗人
高句麗の風習の中でも、結婚と葬儀は今の韓国と全く違います。結婚が決まれば、まず花嫁の家に新郎が寝泊りする小さな家を建て、夫婦になってから子供が成長するまで花嫁の家で暮らしました。この風習は、高句麗後期になるにつれて徐々になくなります。その代わりに、男女が出会い恋愛結婚するほど自由な結婚風習が生まれました。
高句麗人は、結婚式より葬儀をとても大事にしました。たくさんの費用をかけて盛大なお葬式を開き、亡くなった人が生前に使っていた品物をいっぱいお墓の中に入れてあげました。ですが、この埋葬品を狙った盗掘が増えてくると、高句麗後期には亡くなった人が使っていた品物をお墓の横に置いて、お葬式に参加した人々に気に入ったものをプレゼントする風習に変わりました。何よりも違うのは、高句麗人は人が死んだ瞬間には涙を流して大変悲しみますが、葬儀の間にはむしろ音楽を演奏しては歌って踊り、楽しい街のイベントとして祝ったことです。
「太王四神記を見る前に知っておきたい高句麗人の精神」でもご紹介しましたが、高句麗人は来世ではよりよい世界で生まれ変わると信じていたため、死を恐れませんでした。だから高句麗人にとってお葬式とは、生まれ変わるのを祝うパーティーでもあったのです。
オンドルが普及したのは高句麗時代から
高句麗人の一般家庭の生活はどうだったのでしょう。高句麗は今の北朝鮮と中国の東部地域にあったので冬の寒さは非常に厳しく、冬を暖かく過ごせるかどうかは命に関わる問題でもありました。高句麗人は家を建てる時に下に平たい石を敷いて、その石を熱して室内を暖かくする床暖房、オンドルを使いました。オンドルの原型は紀元前5000年ごろの新石器時代に遡りますが、王室から一般住宅はもちろん、お寺、野外にある軍営にいたるまで幅広くオンドルを取り入れたのは高句麗からでした。
オンドルは今でも韓国人の生活にはなくてはならない存在で、マンションでも一戸建てでも食堂でも、ボイラー式のオンドルで暖房をし、床から天井までほかほか暖かい冬を過ごせます。田舎の旧家に行くと、まだ薪を焚いて石を熱する昔からのオンドルが残っています。
びっくりなのは、こんなに素晴らしい暖房施設があったにも関わらず、高句麗人は寝室だけ靴を脱いで入るオンドルにし、他の部屋は靴を履いたまま出入りしやすいようテーブルに椅子という生活をしていたことです。騎馬と農耕民族の間でとても活動的だった高句麗人にとって、寒さをしのげる住居よりも、より動きやすい住居の方が大事だったのかも。暖かいオンドル部屋で本を読んだり、ご飯を食べたりする座敷生活は朝鮮時代から始まりました。
ドラマ『太王四神記』の主人公・ダムドク(ペ・ヨンジュン)が住むのはどんなお城なのか、どんな部屋なのか気になりませんか? そして、高句麗人の武術を披露してくれるダムドクの凛々しい姿を想像するだけでドキドキしてしまいますね
– BY 趙章恩
Original column
http://ni-korea.jp/entertainment/essay/index.php?id=06