第08回:ヨン様が演じる「談德」、「広開土大王」ってどんな人物?


予習してさらにハマる太王四神記

【第八回】

ヨン様が演じる「談德」、「広開土大王」ってどんな人物?






時代を超え尊敬される広開土大王



高句麗の人々は王様の強力なリーダーシップの下、開放的で進取的、挑戦的な民族性から広い世界観を持っていました。騎馬民族らしく「武」を重要と考え、乗馬、弓に優れていました。まさにそのような高句麗人の特徴をそなえた王様が、広開土大王(ファンゲトデワン)だったといえます。韓国人が好きな言葉の一つに「浩然之気」があります。開放された自由な心、広々として屈託のない雄大な気持ちという意味の言葉ですが、韓国では、今でも広開土大王の歴史から「浩然之気」を学べとよく言われるほど、広開土大王は尊敬される人物です。


広開土大王は高句麗19代目の王様で、375年に生まれ391年に18歳の若さで王になり、413年に39歳の若さで亡くなりました。広開土大王の在位期間はたったの21年ですが、この21年が高句麗の歴史はもちろん、韓半島の歴史までも変えてしまいました。その業績は414年に長寿王(ジャンスワン)が残した「広開土大王碑(中国吉林省集安県通溝所在)」の1802文字を中心とする記録に残っています。


王になる前の名前は談德(ダムドク)、生前の王名は「永樂大王(ヨンラクデワン」、死後は「国岡上広開土境平安好太王」となりました。韓国ではこの中から「広開土」の文字を取って広開土大王、日本の歴史には好太王という名前で登場します。日本の昭和、平成と同じように広開土大王は永樂という年号を使いましましたが、これは韓国で使われた初めての年号です。





  • 広開土大王を描いた肖像画。韓国では、今でも数多くの人々に尊敬されています。












広開土大王が「太王」と呼ばれた理由



名前からも連想できるように、ドラマ『太王四神記』でペ・ヨンジュンが演じる広開土大王は、韓国の歴史上、最も韓国の領土と勢力を拡大させた王様で、「太王」と呼ばれました。広開土大王は身分の差に関係なく優秀な人材を将軍に起用し、在位期間中64の省と1400の村を手に入れ、高句麗の領土を韓国歴史上、最大規模となる今の中国吉林省にまで拡大して最盛期を迎えました。鉄の鎧を着た騎馬兵と海軍、王の親衛隊などを別途訓練させ、水陸で立体的に敵を攻撃する知略家でもあり、民をとても大切にする威厳ある王でもありました。広開土大王が領土を広げようと必死になった理由は、民の生活を脅かす異民族の侵略を断ち切り、安定した食料供給で民が住みやすい国にするためでした。


広開土大王は領土を広げただけではありません。外交にも優れ、高句麗の周辺にあった北方少数民族とも友好関係を維持しました。南へは領土を広げず、兄弟国の百済、新羅を守りました。広開土大王碑には、「悪さをする者をやっつけ、生業に励めるよう平和な国にし、国は豊かで民は裕福で太王の恩恵が天まで届いた」と記録されています。広開土大王のおかげで、高句麗は一部族の国ではなく、大帝国として成長して行きました。


広開土大王は芸術と仏教にも興味があり、平譲(ピョンヤン)にお寺を9つも建てました。王族の墓や壁画を守る官職も新しく作り、高句麗は神の子孫であるという思想も発展させました。


広開土大王は激変する国際情勢の中で、軍事、外交、貿易を活発にさせ国を豊かにした政治家として国民に尊敬され、39歳の若さで亡くなった時、高句麗人達は「天はなぜ我々を哀れにするのか」と嘆いたそうです。


歴史を振り返ると韓国はいつも侵略される側でした。高麗時代はモンゴルに何度も侵略され国土は焼かれ文化遺産もほとんど残らない被害を受けましたし、朝鮮時代には中国、ロシア、日本から次々に侵略され、1910年から1945年まで36年間、日帝強占期を送ります。韓国人にとって広開土大王は、歴代王の中で唯一受け身ではなく自ら勇敢に戦に挑み、自分の国を東アジア最強の国にした英雄として心の奥深いところで息づいています。





謎めいた女性関係も広開土大王の魅力!?



2007年1月22日から韓国の貨幣が新しくなりましたが、2005年にポータルサイト「NAVER」が実施したアンケート調査では、新しい紙幣に採用されるべき人物として、53.95%の人が広開土大王と答えたということがありました。今回はデザインとサイズだけの改定となり、残念ながら広開土大王は登場しませんでしたが、10万ウォン札が新しく作られれば、間違いなくそこには広開土大王が登場するだろうと言われているほどです。また、総合誌『月刊中央』2007年4月号は、韓国の歴史を動かした100人の人物の1位に広開土大王を選定したほど、誰もが尊敬する韓国の英雄であります。


面白いのは他の高句麗の王様に関しては、「●●姫と結婚した」というような記録が残っているのに、広開土大王は誰と結婚したという記録はなく、息子の長寿王(ジャンス)が先代が築いた太平盛大を受け継ぎ平和な国が続いた、としか残っていないことです。ドラマ『太王四神記』には、広開土大王が16歳の時に出会ったスジニという女性を愛しながらも別の女性と結婚せざるを得なかったラブストーリも秘められているようで、とても楽しみです。知れば知るほど魅力的な広開土大王と彼を支える青龍、白虎、朱雀、玄武。彼ら四神が、紀元前2333年、天から降りてきて韓民族を作ったといわれる檀君(タングン)の木がある大陸の中央を目指す道程を描いたファンタジーに、早くハマってみたいですね!


   – BY  趙章恩

Original column
http://ni-korea.jp/entertainment/essay/index.php?id=08

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