第09回:高句麗が発祥の韓国代表食材「テンジャン」


予習してさらにハマる太王四神記

【第九回】

高句麗が発祥の韓国代表食材「テンジャン」




高句麗生まれの味噌、醤油



突然ですが、ここでクエスチョン。1970年代まで、韓国の家庭の常備薬はある有名な食品でした。子供の擦り傷や打撲傷、虫刺され、火傷などちょっとした傷には、これを塗って治しました。さて、その食品とは何でしょう?


答えはそうです。タイトルにあるとおりテンジャン、味噌です。


今でもおばあちゃんの知恵として、田舎では、かぼちゃの葉っぱにテンジャンを塗ったものを傷の上に載せて応急処置を施します。最初は傷がしみて痛いけれど、不思議なことにすぐかさぶたができてきれいに傷が治ります。お医者さん達は「傷や火傷にテンジャンを塗るのは逆効果だから、絶対そのようなことはしないように」と注意しますが、何百年、いや1500年以上も前から、テンジャンは食べ物でもあり薬でもありました。消化不良の時は味噌を水に薄く溶いて飲めばゲップが出てすっきりするという話は、昔々から口伝で伝わる民話にも登場します。


キムチと並び発酵食品として韓国人の食生活に欠かせないテンジャンですが、豆を発酵させて調味料に使うという発想は高句麗から生まれました。高句麗で「醤(ジャン)」、つまりテンジャン、カンジャンといった味噌、醤油を使うようになったのは、高句麗の領土であった満州と韓半島が豆の原産地だったからではないでしょうか。遺伝子や考古学的な資料から、4000年も前から韓半島では豆を栽培していたということがわかりました。「醤」というものは中国にもありましたが、韓国のテンジャンと中国の醤は作り方も違えば味もかなり違います。高句麗のテンジャンは中国にも伝わり、独特の匂いから「高麗臭」という名前を付けられたそうです。また、中国の史記『魏志東夷傳』には「高句麗人は醸造がうまい」と記録されています。



「チョングッジャン」は健康食品!



日本の味噌も歴史が長く飛鳥時代にさかのぼりますが、高句麗から伝来された豆を発酵させる方式が日本独自の原料や気候に合わせて発展し自家醸造が始まり、故郷の味として日本を代表する調味料になったそうです。味噌の語源は高句麗語でテンジャンを意味する「美蘇」「蜜祖」で、その日本語読みから「味噌」になったと、日本の百科事典や味噌関連解説書でも紹介されています。


日本の納豆のようなねばねばしたテンジャンを韓国では「チョングッジャン」と呼び、チゲにしてよく食べます。(テンジャン、テンジャンチゲについては「韓国料理大全」で紹介しています)高句麗が豆の産地だったので、高句麗人は茹でた豆を非常食として馬の鞍の下に入れて常備していました。これが馬の体温で発酵してチョングッジャンになったのがその由来です。チョグッジャンチゲは匂いがすごいので頻繁には食べられないけれど、便秘や美容にはもってこいの健康食品。粉にしたチョングッジャンを毎朝ヨーグルトに混ぜて食べたり、乾燥させたチョングッジャンにチョコや砂糖をコーティングしたものをおやつ代わりに食べたり……。便秘がひどい時はおへその周りにごま油を塗って、その上に伝統方式で作ったテンジャンをたっぷり載せてパックすると宿便が取れるなどとテレビで紹介され、ブームになりました。





  • 青とうがらしの辛味が効いたテンジャンチゲ。日本の味噌汁とは違い、沸騰させるほどに風味が増していきます。



手間ひまかけて作るテンジャン



日本に負けないほど韓国にもたくさんの種類のテンジャンがあり、家庭によって味も微妙に違います。テンジャンはやはり手作りが一番! ですが、家で作るには手間がかかりすぎます。韓国のテンジャンが中国の醤と違うのは「メジュ」を作って発酵させるところにありますが、このメジュがやっかいなんですよね。


豆を煮て潰して四角にしてわらで結び、1ヵ月ほど風通しのよいところで乾燥させます。カチンカチンになったものを30度以上のオンドルの上に置いて1~2週間ほど発酵させ、白いかびが生えてきたらメジュの完成です。かびを洗って、きれいな水と塩と一緒につぼの中に入れ熟成させます。寒い日は塩分17~18%、暖かい日は18~20%にして漬けると、45日ほどで下に沈んだ豆はテンジャン(味噌)、上の水はカンジャン(醤油)になりますが、長く熟成させるほど味がよくなるので、1年は保存してから食べます。今はキムチ冷蔵庫があるので発酵食品の保存が便利になりましたが、10年ほど前までは、高級マンションですらベランダにはずらっとテンジャン(味噌)、カンジャン(醤油)、コチュジャン(唐辛子味噌)を入れた壺がベランダに並び、韓国らしい風景を見せてくれました。


高句麗時代のテンジャンは味噌と醤油が混ざったもので、現在のような味噌と醤油を分離させたテンジャンは朝鮮時代から作られるようになりました。高句麗人はテンジャンを利用して野菜や肉を長く保存できるようにし、多彩な食材を味付けして食べるようになりました。料理はそれぞれ木を彫ったものに漆を塗った器に入れて食卓に並べ、椅子に座って食べました。


テンジャンは韓国人の食生活の基礎のまた基礎なので、工場で大量に生産されきれいにパッケージされたものより、きれいな水がある田舎で手作りされたテンジャンをお取り寄せする家庭が多いようです。地域でいうと全羅北道(チョルラプクド)の淳昌(スンチャン)が山と川に囲まれ豆の栽培が多いことから、醤類の特産地としても有名で、街中がメジュと壺だらけというほど淳昌=ジャン(醤)のイメージを持っています。



テンジャンが今に伝える高句麗文化



韓国には「●●のことは”豆でメジュを作る”と言っても信じられない」ということわざがあります。●●はウソつきだ、信用できない人だという意味ですね。「あの女性はメジュのようだ」、という言葉もありますが、これは容貌を四角くてでこぼこしたメジュにたとえ、あまりきれいでない女性という意味です。高句麗の遺跡は古墳と壁画、山城の一部しか残っていませんが、その文化や生活習慣はそのまま受け継がれてきました。


高句麗の遺産は世界遺産として登録され注目されています。韓国では1995年以降、宗廟(チョンミョ)、昌徳宮(チャンドックン)、仏国寺(プルグッサ)と石窟庵(ソックラム)、海印寺(へインサ)藏経板殿、水原華城(スウォンファソン)、支石墓(ゴインドル)、慶州(キョンジュ)歴史遺跡地区、訓民正音、朝鮮王朝実録、直指心体要節、承政院(スンジョンウォン)日記、宗廟祭礼及び宗廟祭礼楽、唱劇のパンソリ、江陵(カンヌン)端午祭などがユネスコ世界文化遺産に指定されてきました。


北朝鮮も2000年から高句麗の遺跡をユネスコに登録する準備を始め、2004年7月1日、1500年ほど前に建てられた高句麗の古墳49と、『太王四神記』でペ・ヨンジュンが演じる広開土大王の王陵碑を登録しました。これからは、テンジャンなどの高句麗の料理や食品も、無形文化財として登録されるといいですね。ドラマのロケ地としても登場する文化遺跡を訪ね、テンジャンチゲで腹ごしらえするのも『太王四神記』の楽しみ方のひとつかもしれません。



   – BY  趙章恩

Original column
http://ni-korea.jp/entertainment/essay/index.php?id=09

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *