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<文在寅(ムン・ジェイン)が韓国の大統領に就任して1週間。9年ぶりの革新系大統領の誕生に対して韓国国民の期待が高いのは、朴槿惠前大統領によって停滞した国政の再起動ということ以上に、国民自らが能動的に政治に関わるようになった時代の大統領という意味があるようだ>
韓国に新しい大統領が誕生した。罷免された朴前大統領を擁護する保守派と改革を望む進歩派と中 道派に分かれ15人の候補(そのうち2人は辞退)が繰り広げた選挙レースの結果、文在寅大統領が圧倒的な支持で当選した。韓国社会世論研究所が5月10日19歳以上男女1044人を対象に行った世論調査では、回答者の83.8%が「文大統領が国政をうまくやっていくと期待している」と答えた。
文大統領は選挙運動期間中、「原則と常識が通じる国らしい国を作る」、「完全に新しい韓国を作る」、「国民のための国を作る」と公約した。朴前大統領とその友人が国政に介入、私利のために国の政策を牛耳り、国の経済と外交、安全を破たんさせたとして国民が立ち上がり朴前大統領を罷免して政権交代を望んだ。この流れから、文大統領はマスコミのインタビューで、「国民がどんな気持ちで氷点下のソウルでろうそく集会に参加し続けたのか、それを忘れない」と何度も繰り返していた。
文大統領は「国民のための大統領になりたい」という人らしく、選挙運動期間中も当選後も、警護は最小限に止め、自ら市民に近づいて話を聞いたり、セルフィーに応じたり、握手したり、「脱権威」的な姿を見せた。文大統領は韓国人が憧れるがなかなかなれない「外柔内剛」を実践する人で、いつも謙遜でやさしい笑顔を忘れないが、不正腐敗勢力には容赦ない一面も持っている。
朝鮮戦争当時、北朝鮮から着の身着のまま逃げてきた両親の元で生まれた文大統領はとても貧しかった。あまりの貧しさに自分の人生を嘆き不良少年になった時期もあるのだとか。浪人の末4年間授業料免除を約束した慶熙大学法学科に進学。ファーストレディの金正淑夫人は同じ大学の声楽科の2年後輩にあたる。金正淑夫人のインタビューによると、学園祭の日に友達の兄の紹介で一度文大統領に会ったが「女性と初めて会う日、男性はスーツを着てくるものだと思い込んでいたので、変な緑色のジャンパーを着てきた彼が気に入らなかった」ため交際には発展しなかった。それから1年後、朴正煕大統領の独裁に反対する学生運動の先頭に立っていた変な緑色のジャンパーを着た男性が催涙弾に当たって気絶したのを見て水で濡らしたハンカチで顔を拭いてあげた。それが他ならぬ文大統領で、そこから交際が始まったという。
文大統領は学生運動をしたことで実刑、強制徴兵で特殊部隊に服務、除隊後もまた民主化運動を続けて捕まり獄中で司法試験合格の知らせを受ける。学生運動をした人は司法試験の最終面接で落とされる傾向があったが、慶熙大学の学長が身元保証人となり合格できたという話もある。判事を目指したが学生運動の前歴から任用されず弁護士になった。その後は故盧武鉉大統領と一緒に釜山で人権弁護士として活躍し、軍事独裁に立ち向かう民主化運動の先頭に立った。盧武鉉大統領を補佐するため大統領官邸で務めていた頃、あまりの激務に歯が10本も抜けてしまったというすごいストーリーの持ち主でもある。韓国では高所得の弁護士になったにも関わらず、お金にならない仕事や人助けばかりする夫を支えた金正淑夫人に対する人気も高まっている。
文大統領の当選が確定した投票日の夜、同じ共に民主党のアン・ヒジョン忠清南道知事が駆けつけ、「文大統領は大韓民国が誇る大統領になるでしょう」と語り支持者の前で文大統領の頬にチューする場面もあった。アン知事は文大統領と党内の大統領公認候補者選びで争った人物である。ロイター通信、ニューヨークタイムズ、ウォールストリートジャーナルなど米国のメディアはこぞってこの頬チュー写真を掲載した。文大統領は朴前大統領と全く違うタイプの人であることを象徴するような写真だった。アン知事のTwitterには、「翌朝自分がしたことを思い出して布団をけっているのではないか」といった質問が殺到、アン知事は冷や汗をかく絵文字と一緒に「それでもハッピーで楽しい朝です」と書き残した。
文大統領の人気は雑誌の売り上げにも貢献した。5月12日付ヘラルド経済新聞によると、文大統領を表紙にした米国TIME誌アジア版は6万7000部売れたという。今までは1号当たり平均2000部売れていたというからいつもの33倍以上売れたことになる。文大統領が表紙のTIME誌はオンライン書店では予約が殺到、入荷しては完売の繰り返しだった。TIME誌は投票日前の5月5日当選を予言するかのように文大統領を表紙にし、The Negotiatorのタイトルを付け、金正恩を相手にする韓国のリーダーを目指す人だと紹介した。
文大統領が就任してまだ数日しか経っていないが、韓国の大統領官邸の仕事ぶりが激変した。今までは大統領がどこで何をしているのかは機密事項だとして、大統領が外部のイベントに姿を現す時以外どこで何をしているのか国民は知る由もなかった。大統領官邸の記者会見は報道官が行い、大統領が姿を見せることはなかった。しかし今は大統領が1日どんな仕事をしたのか日程を公開、大統領が自ら記者会見に参加した。文大統領就任から1週間、大統領は王様ではなく国民が選んだ代理人として国を経営する人だということに再三気付かされた。
大統領が変われば政府省庁も公共機関も変わる。公共機関は文大統領の公約通り、非正規職を正社員に切り替えようと動いている。5月12日には真っ先に仁川空港公社が、派遣会社経由で雇っている非正規職約1万人を公社の正規職として採用すると発表した。仁川空港公社の非正規職員らは涙を流しながら喜んだ。
仁川空港公社は開港以来、職員のほとんどをアウトソーシングしている。2017年5月時点でセキュリティーチェック、貨物運搬、警備、清掃などあらゆる分野の職員約84%が公社の入札で選ばれた派遣会社に所属している。入札は3〜5年ごとに行われるので、派遣会社が入札で落ちたら非正規職の人は職を失うしかない。韓国は正社員と非正規職の賃金・休暇といった待遇の差は2倍近くある。非正規職だといつ解雇されるかわからない不安がある。
文大統領は以前から「国民の安全にかかわる業務は必ず正規職で雇うべきで、公共機関は非正規職ゼロを目指すべき」だと主張してきた。韓国では雇用を増やすことだけでなく、増えすぎた非正規職を正規職にすることも大きな課題になっている。仁川空港公社の記者会見には文大統領もお祝いに駆けつけた。
オンラインコミュニティやポータルサイトニュースのコメント欄には「文大統領が就任してからニュースを見るのが楽しくなった」、「展開が早すぎてびっくり。やさしいだけの大統領ではなかった」、「国民を守ってくれる大統領。頼もしい」などと文大統領を応援する書き込みであふれている。文大統領に投票しなかった人も、大統領としての仕事ぶりには満足している様子だった。
文大統領は盧武鉉大統領の秘書室長を務めた経験がある。そのことから韓国メディアは連日、改革を目指したが失敗に終わった盧武鉉政権の二の舞になるのか、それとも文在寅政権は改革に成功するのか、比較する記事を掲載している。
「文大統領は盧武鉉大統領の失敗を踏まえて保守勢力も抱え込み、保守と進歩に分かれた社会を統合しつつ積弊と呼ばれる腐敗勢力をきれいさっぱり片づけられるのか。改革に成功するのか。それとも盧武鉉大統領がそうだったように、保守勢力に足を引っ張られ急速な変化を望まない進歩勢力からも攻撃され何もできずに終わるのか」といった具合だ。
しかし文大統領の比較対象はなぜ盧武鉉大統領なのか、比較するなら朴槿恵大統領ではないか、李明博大統領、朴槿恵大統領はなかったことにしたいのかと韓国メディアに聞きたいものだ。
それに改革を望む人達は盧武鉉大統領の時代を教訓に生まれ変わった。今はSNSも発展しているので、メディアの言葉を鵜呑みにして誰かを一方的に批判することはしなくなった。ろうそく集会をみればわかるように、社会の悪を見て見ぬふりすることもなくなった。盧武鉉大統領は生前、「主権者は自ら追求する利害関係を反映するためにも政治的選択に能動的に参加しなくてはなりません。目を覚ました市民の団結した力が民主主義の最後の砦であり我々の未来です」と繰り返した。
今回の大統領選挙では、政治に目を覚ました市民がSNSでグループを作り、自分が支持する候補の選挙運動にも積極的に参加し、悪質なフェイクニュースを見つけるとすぐ警察に通報して削除を要請、不法選挙運動や投票場・開票場の監視などにも参加、能動的に政治的選択をしようとがんばった。目を覚ました市民が文大統領の政策を信頼し、後押しすれば、韓国は大きく変わるしかない。冒頭の世論調査でもわかるように、韓国では今のところは文大統領を信頼し期待する人の方が多い。
何はともあれ、文大統領には5年の任期が終わるまで、ずっと国民が応援せずにはいられない大統領でいてほしいものだ。
By 趙 章恩
Newsweek コラム&ブログ
韓国ソーシャルイノベーション事情
2017年5月
-Original column