新しい日韓交流100年の元年を目指す
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毎年3月1日は「サムイルジョル」といって公休日である。1919年のこの日、韓国人は全国各地の市場や広場に集まって独立宣言文を朗読し、「民族自主独立万歳」を叫んだ。「日帝強占」を世界に知らせるとともに、韓国人は、日本による植民地支配を望んでいないことを世界に伝えるためだ。
万歳を叫ぶだけの非暴力運動であったが、被害は大きかった。当時の総督府の資料によると、3月1日を挟んで、全国各地で1542回もの集会が開かれ、約202万人が参加。死亡7509人、負傷1万5961人、投獄4万6948人という悲惨な結果となった。この独立運動は失敗に終わったが、その後本格的な独立運動が始まるきっかけとなった。
サムイルジョルはマンションのベランダに国旗を掲げる。今年はスマートフォンのアプリケーションにも国旗が登場した。サムイルジョルや、韓国が日本から独立した8月15日の「クァンボクジョル」になると、スマートフォンの待ち受け画面が自動的に国旗に変わるというアプリである。
サムイルジョルにはマラソンをした
筆者が通っていた東京韓国学校では、サムイルジョルを記念して全校生が2月28日に皇居を1周するマラソンをしていた。今でもやっているかな? 走るのがとても苦手な私にとって、サムイルジョルのマラソンを完走するというのは、心臓がドキドキして死の危機を数十回も経験するような危険なチャレンジ。独立運動に臨む人の覚悟とあまり変わらなかったかも。
いつもビリだったけど、「あきらめなければ大丈夫」と待ってくれた先生たちのおかげでなんとか完走できた。最近日本はマラソンブームのようで、夜でも皇居の周りを走る人を見かける。その度に「あのころは~」とサムイルジョルのマラソンを思い出してしまう。
変わりつつあるサムイルジョルの風景
サムイルジョルになると、テレビが、独立運動に加わった罪で日本の警察に逮捕され、拷問で亡くなった愛国烈士の特集を放映する。独立記念館や西大門刑務所跡地――独立運動に関わった人たちが処刑された――を訪問する人も増える。
しかし、変化も起きている。これまでは、サムイルジョルになると、「36年に及ぶ植民地支配の間、韓国人がどれだけ苦しめられたか。忘れてはならない!」といった過激な集会や番組も多かった。だが最近は淡々とした内容のものが増えている。「我々はなぜ日本の強制併合を止められなかったのか」。「民族を売り日本に媚びて資産家になった親日派を処罰するべき」「親日派清算」などだ。植民地時代の建物を、歴史の遺産として、博物館にして公開するところも増えてきた。以前は、とにかく全部壊してしまおうといった動きが多かった。
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By 趙 章恩
2011年3月2日
-Original column