「忘れられる権利」ガイドラインが実践運用へ

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意思に反した個人情報の拡散、特定個人への誹謗中傷など、ネット社会特有の問題が多発する韓国。不要となった個人情報や悪意ある書き込みを消去する「忘れられる権利」の在り方に関し、このほど行政が動きを見せた。インターネット投稿へのアクセス排除を要請する際の手続きに関する「ガイドライン」の運用が始まるという。

「忘れられる権利」を想定
ネット業界のガイドライン

 韓国放送通信委員会(注)は今月、「インターネット自己掲示物アクセス排除要請権ガイドライン」を策定し、5月から施行すると発表した。 



 インターネット上で起こる望まざる個人情報の拡散や誹謗中傷、風説の流布などに歯止めを掛けるため、「忘れられる権利」を認めようという議論が、2014年5月のEU司法裁判所の判決などを背景に韓国でも高まりを見せていた。

 そんな中で、自身の投稿や個人情報の削除要求を行いやすくする旨を記したのが、この「ガイドライン」だ。

 たとえ自分の書き込みを削除しても、グーグルをはじめとする検索サイトには、投稿がキャッシュとして残り続ける。

 また、ソーシャルメディアなら退会することで書き込みを削除できるが、オンラインコミュニティサイトの場合は、退会しても自分の書き込みに他のユーザーがコメントを書き込んだ場合は削除できないルールがあるなど、そう簡単にネット上の履歴を消すことはできない。

 世界的に見ても極めて高い割合で、インターネットが社会のあらゆる場面に浸透している韓国では、その利便性を享受してきた反面、ネット社会特有の闇の側面に苦渋をなめた経緯があることは、第2回でもお話しした通りだ。


注 韓国放送通信委員会:放送・通信、周波数の研究・管理とそれに関連する各種政策を決める、2008年設立の大統領直属機関


ネット上の被害を葬る
ビジネスと警察組織

 ネット上への投稿もしかりで、ソーシャルメディア上に書き込んだ一言が問題になり、一変して人気を失う芸能人は日本でも珍しくないが、心ない投稿によって誹謗中傷を受け、自殺に追い込まれた芸能人のニュースも韓国ではしばしば耳にする。

 日本でも、ネット上の風評や誹謗中傷による被害の防止、もしくは救済をサポートする会社が増えてきた。

 韓国にも同じビジネスがあって、彼らは「インターネット葬儀屋」と呼ばれている。自分の評判に傷が付きそうな書き込みや、誹謗中傷を探してインターネット事業者に削除依頼するといった面倒な作業を請け負うのが彼らの仕事ではあるが、むしろ、就職や結婚などで身辺整理をしたい時、断捨離よりも先にこの「葬儀屋」に駆け込む人が多いという。

 特に、生まれた時からインターネットが身近にあった今の20代の若者などは、「ふざけて撮った写真がオンラインコミュニティ上に掲載されて恥ずかしいので、全部探して削除したい」「よく分からず個人情報を全てネット上に登録しまったが、すでに退会したサイトなので削除する方法がない」といった理由で、インターネット上の情報を葬ってほしいと言ってくるそうだ。

 それはさておき、もちろん、このようにネット上でさまざまな被害が叫ばれている現状を行政も黙って見ているわけではない。

 日本では2013年に警察庁が「サイバー攻撃特別捜査隊」を設置したが、韓国にはそれより以前から、インターネット上の名誉棄損や詐欺などの犯罪を専門に捜査する警察組織の「サイバー捜査隊」がある。

 例えばネットでの誹謗中傷に悩む人が、対象となる書き込みをキャプチャするなど証拠を集めてサイバー捜査隊に被害を届けると、IPアドレスやネットカフェの防犯カメラデータなどを捜査し、悪質なコメントを書き込んだ人物を特定する。近年も、大物俳優が悪質なデマに対して、サイバー捜査隊に捜査を依頼したことがニュースになった。


海外の大手事業者も
ガイドラインを守る

 やはり第2回で紹介したように、韓国は半世紀にもわたって全国民に住民登録番号を持たせ、今日、これをスマートフォンの購入などあらゆる生活シーンでインターネットを通じて登録させてきた。

 その結果、利便性の一方で、他人の住民登録番号を盗んで悪用するといった犯罪が多発する事態も招いてしまった。

 それだけに韓国人は、ネット上に掲載された自身に関する否定的な内容、個人情報、写真はもちろん、自分を語って第三者を誹謗中傷する悪意ある行為にも敏感にならざるを得ない。そんな状況が、「忘れられる権利」の必要性に現実味を持たせたのだろう。

 ただ、諸外国と同様に、「忘れられる権利」と「知る権利」や「表現の自由」との駆け引きは、常について回る問題である。インターネット事業者などからは、自分に不利な事実の書き込みを全て削除するのは、他人の「知る権利」の侵害ではないか、また、「忘れられる権利」の乱用が「表現の自由」を委縮させる結果につながるのでは、という意見が挙げられた。

 現在の韓国の法律では、ネット上に公開されている場で特定人に関する事実を書き込んだ場合、それによって当事者が名誉を傷つけられたと思えば名誉棄損に当たると定められているが、ネット上では感情論も飛び交いやすいだけに、「インターネット上の名誉棄損ほど曖昧なものはない」という冷めた見方が国民の間でも広がっている。

 将来もしも「忘れられる権利」が認知された場合には、こうした曖昧さが問題になるであろうという予測の下、放送通信委員会は、前述の「ガイドライン」の施行を目前に控えた今も、削除できる掲示物の範囲や概念をできるだけ明確にする作業を行っているようだ。

 もちろん、「ガイドライン」は法律とは異なり、順守への強制力はない。よって、インターネット事業者は自律的にこれを守ることになるが、放送通信委員会によると、「グーグルやフェイスブックなど海外の大手インターネット事業者は、韓国内でのサービス提供においては、『ガイドライン』を守る」と回答したという。

 「忘れられる権利」をめぐる議論は、今後、日本でももっとさかんになるかもしれない。韓国でのこうした動きに注目し、ぜひ、参考にしてほしいと思うのだ。



趙 章恩=(ITジャーナリスト)

 

ダイヤモンド online

「コリア・ITが暮らしと経済をつくる国」

2016.4.

 

-Original column

http://diamond.jp/articles/-/89641

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