最終回は「?」がいっぱい
『太王四神記』の最終回、みなさんはいかがでしたか?
もう1年近く前になりますね。待ちに待った『太王四神記』が韓国では2007年9月11日から放映され、12月5日のスペシャル放送で冬の到来と共に幕を閉じました。最終回は映画館を借りてファンクラブのみんなで視聴したりもしました。
韓国で高視聴率をキープしたのはもちろん、ロケ地は観光名所になり、ドラマの時代背景となった高句麗の歴史と文化を勉強するのがブームにもなりました。韓国の国民に大きな影響を与えたドラマだっただけに、最終回を巡る議論も、それはそれは熱かったです! 私も毎週欠かさず『太王四神記』を観て、再放送も観て、またケーブルテレビで観て、何度も何度も見直すほど大切にしていたドラマだっただけに、最終回に期待しすぎていたのでしょうか、「一体どういうこと? え! これで終わり???」というのが正直な感想でした。
23話までは、いえ、24話のアジクが火天会に拉致されるところまでは、なんの疑問も感じませんでした。ところがホゲとの最後の戦いのあたりから、なんだか「パリパリ(早く早く)」物語を終えなくてはならないという焦りが見えはじめたような気がします。将軍たちがあっけなく死に、タムドクとキハも死んだのか死んでいないのかわからず、残されたスジニはどうしたらいいのか、タムドクが愛したのはスジニではなく結局はキハだったのかなどなど、何が何だかよく理解できないまま、字幕で高句麗の歴史が紹介されるのを呆然と見つめていたのは私だけでしょうか?
ヨン様も『太王四神記』を「ほかの作品に比べても残念な気持ちが特に残る作品」と語ったことがありましたね。2年以上もひとつの作品に集中し、最後の最後まで歯を食いしばってやってきただけに、ケガをしていなかったらもう少しいい演技ができたのではないかという悔しい思いがあったのかもしれません。
とにかく、神話の時代ではあんなに派手に登場した四神なのに、最終回は「本当にこれで終わっちゃうの?」という感じでショックを受けました。神物を巡る四神の覚醒もキハ以外はなく(スジニが朱雀として覚醒するところもなかったし)、天弓が壊されると太王も死ぬはずが、「その後も王様として国民を幸せにしました」というような字幕だったでしょう? 神物が壊されたヒョンゴ、チョロ、チュムチ、スジニはどうなるのか(神物が壊れるとその主人も死ぬという設定でしたよね?)、フッケ将軍もコ・ウチュン将軍も次々と死んでしまい、ホゲもあっけなく死んでしまったし、キハはこの世を燃え尽くしてしまったのかどうかなど、もう???だらけのまま終わってしまったという印象が強かったです。
それに、チョロの悲しい瞳を思い出すたびに、スジニとの間にもう少し淡く切ないシーンがあってもよかったのではないかと思ってしまうのです。タムドクの父としての姿も見たかったですし。
また、タムドクとホゲとの関係も納得できません。子供の頃は兄弟のような仲だったのに、母親の陰謀を知らず、ただタムドクに殺されたとだけ思い込み、タムドクを憎むしかなくなった誤解を解いて、ホゲとタムドクがもう一度正面からぶつかり、お互いの心を分かち合う場面があってもよかったのでは? などといろいろ考えてしまいました。しかしその疑問に対する答えが、「もうひとつの最終回台本」にはあったのです!
これが「もうひとつの台本」です!
『太王四神記』のシナリオ作家であるソン・ジナさんが最終回の放映を前に、ファンの皆さんへのプレゼントとして「もうひとつの最終回台本」をご自身のホームページに公開したことから騒ぎが広がりました。その台本には、放映されたものとはちょっと違う結末が書いてあったからです。
この台本が登場してから、韓国で『太王四神記』を放映したMBCの視聴者掲示板は「最終回を撮り直してはどうか?」という意見が殺到しました。「ヨン様のケガを知りながらそんなこと言うなんてひどすぎる」という意見と、「時間をかけてもいいから、納得できる最終回をもう一度見せてほしい」という意見がぶつかり、掲示板は炎上! サイトにアクセスすらできなくなったほどです。「もう一度撮り直してほしい」という書き込みがあまりにも絶えないものですから、ソン・ジナ作家が「最終回についてはいろいろな案があって、公開した台本もそのうちのひとつです」と釈明するにまで至りました。
私も、もうひとつの最終回台本をじっくり読みました! 24話最終回の物語は、タムドクが兵士たちの前で「敵は多く我々は少ない。しかし我々は必ず勝つ。なぜなら、我々はみんなチュシンの子息で負ける方法など知らないからだ!」、「私の軍隊、私の兄弟たちよ。私が見えるか?」という聖戦のところから違ってきます。阿弗蘭寺に拉致されたわが子を助けるため、最後の戦いを覚悟したタムドクとタムドクのために集まった四神と将軍と兵士たち。
ホゲ軍に対抗して戦いながら、スジニはタムドクの指示に従い、アジクを守るため一心不乱に阿弗蘭寺へ馬を走らせます。そのスジニを守るために、フッケ将軍が犠牲になります。「モタモタするな! 早く行け!」これがフッケ将軍の最後の言葉でした。スジニを養女にしてタムドクの妃にしようとしたフッケ将軍は、娘のようにかわいがっていたスジニのため、そしてタムドクのため、自分の身を捨てます。
規模からして絶対不利なはずの太王軍がどんどん攻めてくると、狂気に満ちたホゲはタムドクに向かって馬を走らせます。激しくぶつかり合うふたり。「あの女がお前に話したいことがあるそうだ。通してやろうか?」とホゲ。「お前が俺の子をさらったのか?」とタムドクに聞かれ、驚くホゲ。「これがお前らが望むことなのか? 罪のない子供の心臓を取り出して天の力を盗むのが! そこにあの女もいるのか?」、「お前の子だって?」、「そうだ。わが父を殺した女が産んだわが子」……。それを聞いたホゲは狂ったように笑い出します。笑いながらも死に物狂いで剣を振りかざします。
「お前の父は自決した。俺の父のようにな。俺たちには何も聞きもせず、お前に王になれと言って勝手に死んだんだよ。あの女は、ただ真実を話していないだけだ」というホゲの言葉に、今度はタムドクが驚いて立ちすくんでしまいます。次の瞬間、タムドクの剣がホゲの肩に食い込みました。ホゲは悲鳴をあげながらも「これぐらいは、お前に知ってもらわないと。少しでも俺が報われるようにな。あの女は、お前のことしか頭にないんだ。俺にはどうすることもできないんだ。剣を握ってまともに終えてみろ」と挑発します。何もできないタムドクに向かって、ホゲはすべてを諦めたように殴りかかります。その瞬間、反射的にタムドクの剣がホゲを刺します。
「なぜ言わなかったんだ!」と叫ぶタムドクに向かって、うっすらと微笑みを浮かべたホゲは言います。「お前はチュシンの王だからだ。あの女を生かしてくれ。俺にはできないんだ。行け、チュシンの王。はるか昔の、わが友……」。あ~あ。あんなに王になりたがっていたホゲなのに、心の奥ではタムドクをチュシンの王として認めていたんですね。それにホゲだって、タムドクと仲良くすごしたあの頃の思い出を大事にしていたのですね。台本を読みながら、ホゲがかわいそうでかわいそうで、また泣いてしまいました。ドラマで描かれたように、赤く充血した涙目にすべてを秘めたまま、タムドクを見つめながら死ぬシーンもよかったのですが、ホゲとタムドクが最後に友達に戻るこんな壮絶なシーンがあってほしかったです。キハについても、突然豹変したのではなく、タムドクへの愛と火天会との板ばさみで変わってしまったことをタムドクがわかってくれるシーンがあると、「よかった~」とホッとしますよね。
もうひとつのラストシーンは現代が舞台!?
また、キハが黒朱雀となり、「天の力は天に返すべきだ」と言ったタムドクが天弓を壊してからのシーンも、台本とドラマでは違っていました。アジクの血が1滴神棚に落ちた瞬間、子供を傷つけられた怒りでキハは黒朱雀になります。アジクの血に触れた神物は、どんどん壊れていきます。そのたびにチュムチやチョロ、ヒョンゴは激痛を感じ、血を吐きながら馬から落ちます。タムドクも神物が壊れるたびに激痛を感じ、耳や口から血を流します。チョロは激痛のあまり身をよじり、その隙に火天会のものによって腕を切られてしまいます。苦しむタムドクをこれ以上見るのがつらいスジニは叫びます。「お願いだから止めて! お姉さん、神物がぜんぶ壊れると王様も死んでしまうの! お願い、止めて」。
その時、キハが何かを訴えるようにスジニを見つめます。スジニにだけ、キハの心の言葉が聞こえます。「私の妹よ。私をここから出して」……。すると、神棚の上にあった朱雀の神物、紅玉が光り始めます。そして、空中に浮かんだ紅玉がスジニの手の平の上に乗ります。スジニが紅玉をぎゅっと握り胸に置くと、スジニは光を発し、四方を燃やしていた黒朱雀の火が消えはじめます。スジニの光がタムドクを包み込むと、死にかけていたタムドクが目を覚まします。キハはスジニの膝の上で寝ている子供に目を向け、タムドクを見つめ微笑みます。その瞬間、キハは猛烈に燃え始め消えていきます。どんどん薄れていくキハのシルエットと、タムドクのうしろ姿が重なります。スジニの手では、まだ紅玉がギラギラと光を放っています。暗闇だった空が青く晴れ、この世を眩しく照らします。
場面はまた国内城に戻ります。チョロとチュムチがいたずらをしているところや、兵士たちとお酒の一気飲みをしているスジニの姿が登場します。国は平和になり、みんなが幸せな日常を過ごすところです。
ここで台本には、個人的に一番見たかった場面がありました。名前がまだないということでアジクと呼ばれていましたが、ゴリョンという名前で呼ばれるようになったタムドクの子が、誰かを剣で一生懸命攻撃しています(ゴリョン役はタムドクの子役を演じたスンホ君)。ゴリョンの対決の相手はタムドク。始終笑顔でゴリョンの相手をしているタムドクと、それを見守るコ・ウチュン将軍(最高です!! フッケ将軍も一緒だったらもっと良かったのに……)。
ヒョンゴの声で、「太王は若く39歳で亡くなり、チャンス王が太平な時代を築いた。その平和は200年ちょっと続いただろうか」という内容のナレーションが流れてきます。しかし場面は急変、668年、新羅と唐の連合軍により高句麗は滅亡。唐の軍が高句麗の記録をすべて燃やしてしまう場面になります。
時代は現代になりました。仁川空港の中をリュックを背負って走る現代人に生まれ変わったヒョンゴと幼いスジニ。ふたりは、「だから、その話は碑石にだけ書かれている、ということなんですね」、「668年、唐の国によって高句麗のすべての歴史記録が燃やされたんだよ。何も残されていない。あ~もったいない」などと会話しています。
ふたりが向かった先では、中国旅行に向かう団体ツアー客たちがガイドの説明を聞いていました。ガイドは「集安は高句麗の3番目の首都であり、そこに広開土大王碑があります。でもその太王碑は、触ったり写真を撮ることもできません。防弾ガラスの中にありますから」と解説しています。
スジニはヒョンゴに話しかけます。「そんなのアリ? 私たちのものでしょう!」。カメラは、ヒョンゴとスジニの周りを行き交う無数の人々を写します。髪の短いチョロ(?)、スーツ姿のホゲ(?)……。神話の時代から四神として生まれ変わったように、今もこの世のどこかで、生まれ変わった四神とタムドクが普通に暮らしているかもしれないと思わせる場面で台本は終わりました。
高句麗のイメージを変えた『太王四神記』の功績
いかがですか? ドラマの最終回ともうひとつの台本の最終回。台本を閉じながら、「そうか~そうか~」となんだかちょっと嬉しくなりました。ドラマには描かれていませんでしたが、台本の中ではタムドクとホゲが心を通わせているし、スジニは朱雀として黒朱雀になったキハを止められたし、タムドクの父としての姿も見せてくれたし、神物は壊れたけれどチョロやチュムチも無事だということもわかったし、私たちが住んでいるこの世界のどこかで、四神とタムドクが生まれ変わっているかもしれないなんて! ウキウキするような結末も、ファンタジーらしくて気に入りました。
ヨン様や監督、スタッフ達の苦労を考えると、どちらの最終回が好きだなんて軽々しく言うことは許されないことかもしれませんが、もう少し撮影に時間があったらよかったのにな~と、ファンとして悔しい気持ちは隠すことができません。
ヨン様の負傷が報道されたものより深刻だったことから撮影をあきらめるしかなかったのか、それともいくつかの新聞で報道されたように、シナリオの完成が撮影に間に合わず監督が現場の状況に合わせてストーリーを作るしかなかったからなのか、今となっては理由を問い詰めるのもムダなことですが、3年以上も前から企画され、2年もの歳月をかけて撮影した作品だけに、最終回論争が汚点として残ってしまうのは残念で仕方がありません。
しかし、こういった最終回議論があるにせよ、生き生きとしたキャラクターがたくさん登場してくれた『太王四神記』には、本当に楽しませてもらいました。実存する人物であり、韓国が誇る太王を演じたヨン様も、ヨン様にしかできない柔らかくもビシッとしていて、強いながらも繊細で、どんな時も人々を惹きつけるオリジナリティー溢れる王様のキャラクターを上手く作り上げていました。スジニにチョロ、チュムチやヒョンゴや将軍たちも、個性があってこれまでのどんなドラマでも見たことのないようなキャラクターでしたね。ヨン様が戦争に強い王様ではなく、国民のために何をすべきなのかについて思い悩む王様を演じてくれたおかげで、「戦争で領土を広げた強い民族」というイメージばかりで、それほど興味を持たれていなかった高句麗を見直す契機になり、高句麗ブームにも繋がったのです。高句麗の人々の生活や当時の外交や領土について研究が進められ、高句麗を背景にしたドラマが2009年も放映される予定です。「予習してさらにハマる太王四神記」でも紹介しました高句麗の昔話「ホドン王子とナクラン姫」がドラマ化されることになったそうです。
次回は「韓国人にとって高句麗とはどういう存在なの?」、「ヨン様の演技に韓国中が驚いた理由」、「こんなことろにまで高句麗ブームが!」などをテーマにお届けします!
– BY 趙章恩
Original column
http://ni-korea.jp/entertainment/essay2/index.php?id=25