[韓国ソーシャルイノベーション事情] 自由に書いたらダメ? 米国留学や就活に備えSNSの発言に悩む韓国の人びと

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SNSをめぐり、小学生の早期留学から博士課程に至るまで米国に留学する人が多い韓国ならではの悩み事が生まれた。最近韓国の複数のメディアが、「米国に留学したい場合はSNSに注意せよ」という内容の記事を掲載したからだ。米国の大学が留学生を受け入れるかどうか審査する際に、SNSのIDを提出させてどのようなことを書き込んだのか、どのような発言にいいね!を押したのかチェックするというのだ。

そういえば6月には米ハーバード大学がSNSでの発言に問題があるとして、この秋に入学予定だった新入生10人以上の入学を取り消したことがわかった。ハーバード大学新聞 “The Harvard Crimson” に掲載され、世界中で話題になった。

ハーバード大学新聞によると、2016年12月大学側が入学予定者用にFacebook上で設けた公式グループの中に、プライベートチャットグループができた。このチャットのやりとりの中で暴力や民族・人種差別を美化する発言をした人がいた。これを大学側が見つけ、少なくとも10人に入学許可取り消しを言い渡したという。記事によると、大学側は「合格者が道徳性や品性に疑問がある行動をした場合などを含め、大学には入学を取り消す権利がある」と説明したそうだ。またFacebookで同じグループにいた他の新入生たちは、大学側の入学取り消し決定に同意するとインタビューに応じていた。

韓国では、小学生の子供と母親が米国に留学、父親は韓国に残って送金係を務める「早期留学」をする家庭が多い。富裕層の間では遠征出産といって、子供を米国で生み米国の国籍を持たせてあげることがステータスのようになっているが、そこまでできない家庭は早期留学で子供を米国で教育させたがる。世界に羽ばたける人材に育ってほしいからだ。

ソウル市内には米国留学を斡旋する会社が数えきれないほどあり、毎日のように米国留学説明会を開催している。ここでも、保護者に時間をかけて「子供のSNSをチェックして、問題になりそうな書き込みは事前に削除すべき」と説明しているという。

韓国メディアによると、「デジタル葬儀社」*に依頼して子供が作ったIDでネット上に書き込んだものを全て探しだして削除してもらったり、親が子供の名前でTwitterやFacebookに登録して入試でいい点数が取れそうなことを書き続けたり、子供の米国留学のためなら時間とお金を惜しまない親が少なくないという。
*個人の不要なインターネット上の履歴や、亡くなった人のインターネット上の投稿や足跡を削除する会社。「デジタルランドリー」とも呼ばれ、アメリカでは2012年ごろから、韓国では2013年ごろからサービスを提供する会社が現れた

ロイター通信の伝えるところでは、SNSは米国の大学入学だけでなく政府のビザ発給にも影響を与えるようだ。米国国土安全保障省は5月末からビザ発給の審査を厳格にするとして、申請者が過去5年間使っていたSNSのIDを届け出るように決定した。SNSの中身も審査対象というわけだ。

同省は国家の安全保障のため審査の厳格化が必要という立場で、「テロや他の国家安全保障に絡む在留資格の欠如に関連して追加審査が必要と判断された」場合のみSNSのIDを要請するというが、韓国では「ビザ審査書類にあるSNS ID欄を空白のまま提出すると余計審査に時間がかかってしまうかもしれないので、予め当たり障りのないSNSのIDを作って備えよう」という雰囲気になっている。

米国向けビザ発給手続きを代行する法律事務所も、子供のSNSコンサルティングに乗り出した。米国の大学やビザ発給審査で問題にならないようにするためには、SNSにどんな内容を書き込めばいいのか。それは本人がピアノやバイオリンなどの楽器を演奏する姿を載せるのが一番だという。子供に楽器の演奏を学ばせるほど金銭的余裕があり、クラシックをたしなむ教養ある家柄で育ったとアピールできるからだ。その他に、米国に親戚がいると書くのは不法滞在する可能性があるとみられるのでよくない、中東に関する風景写真・料理写真も一切掲載してはならない、といったことをアドバイスしていた。

米国に負けず韓国でもSNSはその人を評価する材料の一つになっている。韓国では就職の際にSNSの評判が当落を決めることもある。韓国は大卒でも就職が厳しく、就活のためにSNS上の活動をがんばる学生も多い。フォロワーが多い=自分は人に慕われリーダーシップがあり社会的に影響力がある人だと会社にアピールするのだ。フォロワーをたくさん集めるために、人が羨むような生活ぶりの写真を載せようと無理をする人もいる。

韓国のニュース番組によると、最終面接の前に応募者の名前で検索してFacebookやTwitterをチェックする企業が増えているという。SNS上でどのような写真やコメントを残しているのかを確認して、その人の日頃の品性や社会性を見るのだとか。

稀なケースではあるが、FacebookのID(実名)でネットニュースのコメント欄に書き込んだ内容が問題になり、「うちの会社が目指している方向とは違う意見を持っているようなので」と面接がキャンセルになった人もいるという。ところが、面接でSNSはやっていないと答えると、今度は「トレンディ―な人ではないのでうちの会社とは合わない」と面接を落とされるというから、SNSをやらないのも就職に影響を与えてしまう。そのため就職活動の前に、自分の過去のネット上での不適切な投稿を削除してもらおうと、デジタル葬儀社を利用する若者が増えているのだとか。

最近はネットの情報源として新聞やテレビに負けない波及力を持つSNSだが、韓国では何を書き込むか、書き込まないべきか、SNSは悩ましい存在になっている。

By 趙 章恩

 

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韓国ソーシャルイノベーション事情

 

 2017年9月

-Original column

http://www.newsweekjapan.jp/cho/2017/09/sns-1.php

[韓国ソーシャルイノベーション事情] 韓国でもお一人様文化定着 旅行、ご飯も一人が気楽?

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<韓国で日本のシルバーウィークに相当するのが、旧暦のお盆、秋夕(チュソク)。この時期は、都会に出ていた人たちが里帰りし親戚一同が集まる──。だがそんな韓国の姿も変わりつつあるようだ>

韓国では一人で旅行に行く「ホンヘン(혼행)」が流行っている。一人という意味の「ホンジャ(혼자)」と旅行という意味の「ヨヘン(여행)」を合わせた造語である。

世論調査会社のMbrain社が2017年7月韓国19~59歳の男女1000人を対象に夏の休暇計画についてアンケート調査したところ、29.1%が「一人で旅行に行く」と答えた。20〜30代の場合、家族や友達、恋人と旅行に行くと答えた人より、一人で行くと答えた人の方が多かった。

大手旅行代理店Interparktour社が2016年の顧客データを分析したところ、31.6%がホンヘンだった。2016年7月から2017年1月まで国内シティホテルに一人で泊まるパッケージ商品の販売も、前年同期比14%増加した。ここ数年、ソウル市内には外国人観光客向けにシングル部屋ばかりのビジネスホテルが多数オープンしたが、老舗のシティホテルはシングル部屋がないところも多い。ダブルかツインかスイートルームだ。そこにあえて出張でもないのに一人で泊まるパッケージが人気を集めているという。

同じく大手旅行代理店のModutour社も、2012年から2016年までツアー商品を利用した顧客データを分析したところ、ホンヘンの割合が2012年4.5%から2016年19.6%に増えたと発表した。Modutour社によると、ホンヘンに人気の旅行地域は大阪、東京、福岡、ヨーロッパだった。日本の都市がホンヘンに人気なのは、距離が近く気軽に行けて治安がいい、円安で物価が韓国と変わらないかもっと安い、お一人様を変な目で見ない、といった理由からだとか。

SNS上の書き込みも、ホンヘンに関する内容が増えている。Daumsoft社が韓国語で作成されたブログ、Twitter、ポータルニュースを分析したところ、ホンヘンに関する書き込みは2015年1万4703件から2016年1万9706件、2017年は7月末時点で既に1万3345件を超えたほど増え続けている。ホンヘンに関するイメージも「ホンヘンは楽しい」という好意的なものが75%、「ホンヘンは寂しい」といった否定的なものは25%だった。

【参考記事】キャッシュレス社会で韓国の銀行が大変身 カフェ併設に移動型店舗も登場


韓国といえば血縁、地縁、学縁といった縁故を重視する社会で、何事も大勢でわいわいするのが当たり前という雰囲気があった。数年前までなら旅行ツアーに一人で参加したり、遊園地に一人で行ったりするなんて想像もできなかった。食堂では基本2人前からしか売らず、一人客を断るところもたくさんあった。オンラインコミュニティでは「一人で食事に行くと、食堂のおばさんが同情する視線を送ってきて『元気出しなさい』とサービスしてくれた。友達がいないと思われたみたい」という書き込みをはじめ、「どうしても一人で食べないといけない日はタクシー運転手がよく行く食堂を選ぶ。一人でも入りやすい」、「一人で食事する日は食べながらずっと誰かと電話をするふりをする。忙しくて一人で来たとアピールをすれば変な目で見られない」といったアドバイスもあった。

それが今ではすっかり変わってしまった。一人で食事をするのは何ともない事になり、一人しか座れないテーブル席があるサムギョプサルのお店、一人で入れる食べ放題のお店も多い。

こうした変化の理由は、やはり未婚の一人暮らしの人が増えているからともいえる。

韓国統計庁の「人口住宅総調査」によると、2015年末時点で単身世代は全世帯の27.2%ともっとも多い割合を占めている。15歳以上で未婚の人は2010年1231万2000人から2015年1337万6000人に増えた。30代の未婚率は2010年29.2%から2015年36.3%、40代の未婚率は2010年7.9%から2015年13.6%に増えた。

特に韓国の20代は、子供の頃からずっと不景気の中を生きているともいえる。数年前から20代を恋愛、結婚、出産をあきらめたサンポ世代(サンは3つ、ポはポギ=放棄からとった造語)だと呼ばれるようになり、今ではサンポに加え就職、マイホーム、車、人間関係、夢などあきらめたことが多すぎて数えきれないとして任意の自然数Nを付け、「Nポ世代」と呼ぶようになった。学生時代は受験戦争、大学生になると就職戦争、それでも不景気で就職できず契約職を転々とせざるを得なかったNポ世代は、大勢でわいわい旅行に出かける経済的余裕がないともいえる。

【参考記事】気になるCMを連発、旅行サイト「トリバゴ」の意外な正体

Nポ世代が就職に成功すると、今度は「YOLO」にはまるようだ。You Only Live Once(人生は一度きり)の略字で2016年あたりから米国で流行り始めた言葉。韓国でもSNS経由で輸入され、「未来に備えるより今を楽しもう」というライフスタイルをYOLOと言っている。

Nポ世代は、がんばっても報われず、仕方なく色々なことをあきらめてきた世代だからか、経済力を手に入れると、これからはいつどうなるかわからない未来のために我慢して貯金するより、一度きりの人生だから人の目を気にせず今を幸せに生きようとするのかもしれない。

それに現在の文在寅(ムン・ジェイン)政権は勤労基準法を改訂し、週52時間しか働けないようにする方針だ。有給休暇も全部消化できるようにする。現在は残業込み週68時間まで働ける。失業対策のためか、一人が長時間労働するより、短時間労働者をたくさん雇う方向へ導こうとしている。残業ができないと収入が減るので困ると反発する声もあるが、テレビや新聞のインタビューに登場するNポ世代は、「仕事もそこそこ、人生もそこそこ楽しみたいから残業禁止がいい」と話す人が多かった。

Nポ世代に影響されたのか、私の周りの30〜50代もSNSにハッシュタグ#YOLOをつけて家族を置いて一人で海外旅行を楽しんだ写真や、一人ご飯の写真をやたらと載せるようになった。一人で何かを楽しむのがおしゃれだと思う人も結構いるようだ。今年は9月30日から10月9日まで10日の連休がある。政府が国内観光活性化と消費活性化を狙い公休日の間の平日を臨時公休日に指定したからだ。韓国では「黄金連休」と呼ばれる10日間ホンヘンがまた増えそうだ。

【参考記事】飛行機での出張はVR導入でどれだけ快適になる?


By 趙 章恩

 

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韓国ソーシャルイノベーション事情

 

 2017年9月

-Original column

http://www.newsweekjapan.jp/cho/2017/09/post-12.php

[韓国ソーシャルイノベーション事情] 温もりのある声で癒しを 感情労働ストレスを軽減させた取り組み

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<ストレスの多い現代、企業の問い合わせ窓口やユーザーサポートの担当者は、顧客のかかえるストレスをぶつけられても、誠心誠意対応しなければならない。そうした問題に対するユニークな取り組みが行われた>

感情労働(Emotional Labor)とは、業務上特定の感情を演出または維持しないといけない労働という意味で、米国の社会学者Arlie Russell Hochschildの「Emotion work, feeling rules, and social structure」(American Journal of Sociology. University of Chicago Press. 85 (3): 551-575. JSTOR 2778583、1979年11月)という論文で紹介されたのをきっかけに世界中で広まった用語である。

例えば、航空会社のキャビンアテンダント、銀行窓口のテラー、コールセンターのオペレーター、顧客相談室や電話相談窓口担当者など、直接顧客と接する業種で、相手に何を言われようと常に笑顔で親切に対応する仕事をしている人を感情労働者という。

職場で自分の感情をさらけ出して仕事をしている人はとても少ないと思うので、結局社会人は誰もが感情労働をしていると言えるが、韓国では特に企業のコールセンター、修理受付窓口がもっとも感情労働を強いられる職種と言われている。苦情を受け付けたり、サービスを解約しようとする顧客をなんとか引き止めたり、商品の故障で不便な思いをしている顧客に謝罪したり、顧客に何を言われても丁寧に話を聞くのが仕事であるが、普通に話をする人ばかりいたら苦労はしない。最大限親切にマニュアル通りにしてやっと電話が終わったと思っても、電話をしてきた顧客が「親切ではなかった」と本社にクレームをいい、業務評価が下がる二重苦もある。

韓国の石油会社GSカルテックスは、社会貢献活動の一環として「世を変えるエネルギーキャンペーン」を行っている。その一つとして、「心をつなげる保留音」というプロジェクトを行った。GSカルテックスと韓国GMが協力し、自動車メーカー韓国GMのコールセンターに電話をかけると流れる保留音をちょっと特別なものに変えるプロジェクトである。

【参考記事】ソウルで年に1度空襲サイレンが鳴る理由は? 韓国版防災の日「ウルジ」
【参考記事】デジタル時代だからこそ価値がある? 韓国で話題の手書き代行ビジネス

韓国の企業はどこもコールセンターの職員らが感情労働をしていてストレスをため込んでいることをよく知っている。そのため大手企業はコールセンターの勤務環境をよくし、退職率を減らすためあらゆる対策を講じている。だが、カウンセリングを受けさせる、特別休暇を与える、社員向けパーティーを開いたなどあらゆる対策を講じたというニュースはあっても、これといった効果があったという話は聞こえてこない。

そこで石油会社GSカルテックスの社会貢献キャンペーンを担当している広告代理店が、「ため込んだストレスを解消する対策より、ストレス要因を事前にシャットアウトする方法を試してみよう」と提案。韓国GMが自社のコールセンターでこのキャンペーンをやってみたいと同意した。そして対応策として保留音を変えた結果、驚きの効果があった。

キャンペーン紹介動画は暴言を吐く声で始まる。そしてコールセンターの女性職員らが登場し、「(暴言を聞いた時)最初は手が震えました」、「なんで私暴言を聞かないといけないのだろう。家に帰れば私だって大事な娘なのに」。「誰もが知っているけど変えられなかったこと。だから変えてみようと思います」というナレーションに続いて特別な保留音を録音する様子が流れる。

声優ではなく一般の人を集めて、中年男性の声で「やさしくてまじめなうちの娘におつなぎします」、若い男性の声で「愛するうちの妻が対応します」、子供の声で「私が世界で一番好きなママが対応します」と録音した。2017年6月末から韓国GMのコールセンターでは、いつもの音楽と一緒に流れる「しばらくお待ちください」の保留音の代わりに、この声を保留音にした。

保留音を変える前と変えてから5日後、コールセンター職員にアンケート調査を行った。保留音を変える前、ストレスを感じていると答えたコールセンター職員は保留音を変える前は79%だったが、変えた後は25%しかいなかった。自分が尊重されていると感じると答えたコールセンター職員は0%から25%に増えた。顧客からのやさしい言葉も58%から66%へ増加した。電話に出るなり苦情をまくしたてる顧客が減り、不便なことや修理を依頼したいことをやさしく話してくれるようになったという。キャンペーンが話題になると、保留音を聞くためだけに電話して、とてもいいキャンペーンだとコメントを残す人もいるのだとか。

【参考記事】地域活性化アイデアで生まれ変わる廃校、少子高齢化進む農漁村に新たなビジネスチャンス
【参考記事】高校生たちが考えた給食の食品ロス解決イノベーション「レインボートレイ」

同様の取り組みとしては、仁川市でも感情労働者を支える別のキャンペーンが行われた。時刻表に追われ一人で長時間運転するバスの運転手も一人で多数の顧客を相手にする感情労働をしているとして、仁川市は運転手を励ますプロジェクトを考えた。

仁川市内を運行するバスで最も乗客が多い路線のバス2台に、ある装置を取り付けた。乗客が降車ボタンを押すと、「運転手さん、いつもありがとうございます」、「今日もファイト!」などと声が流れる。仁川市民156人が参加し、いつも利用しているバスの運転手さんに感謝の気持ちを込めて録音した声だ。仁川市の狙いは市民の声で運転手を励まし、安全運転を心がけるようにすることである。

近い未来には人に代わって人工知能がコールセンターの役割をし、ロボットが働き、自動運転バスが街を走ると予想される。こうした感情労働者のためのキャンペーンはこれが最後になるかもしれない。いや、そうなれば今度は「人間同士思いやりを持ちましょう」、とロボットとは違う人間味を取り戻そうというキャンペーンが始まるかもしれない。

【参考記事】SNSとビッグデータから生まれたソウル市「深夜バス
【参考記事】高校生たちが考えた給食の食品ロス解決イノベーション「レインボートレイ」


By 趙 章恩

  

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 2017年9月

 

-Original column

http://www.newsweekjapan.jp/cho/2017/09/1-1.php

[韓国ソーシャルイノベーション事情] ソウルで年に1度空襲サイレンが鳴る理由は? 韓国版防災の日「ウルジ」

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<9月1日は防災の日。同じような訓練が韓国でも8月下旬に行われたが、日本とは比較にならないくらい大掛かりなものだ。その目的とは──>

8月23日午後2時、ソウル市内に突然空襲サイレンが鳴り一斉に車の通行が止まった。通行人も地下鉄の駅や建物の中に入り、人でごった返していたソウル中心部が突然静かになった。

この日は年に1度韓国全土で大々的に行われる「民防衛の日」であり、乙支(ウルジ)練習の日でもあった。どちらも国家の非常事態を想定して各種訓練を行い、国民の安保意識を高める日である。韓国の非常事態といえば北朝鮮の攻撃だが、最近は地震、洪水などの災害も含めた避難訓練を行っている。

乙支練習は毎年8月の終わり頃に行われ、一般市民はもちろん全省庁と自治体、軍、警察、教育機関、大手企業など、あらゆる組織が戦争といった緊急事態に備え、安保と安全のため何をどうすればいいのか点検する日である。

50回目を迎えた2017年の乙支練習は8月21日から24日までだった。日本の総務省のような役割をする行政安全部が主管、全国4000あまりの組織が参加した。”乙支”は高句麗時代に隋と闘って撃破した英雄である乙支文徳(ウルジ・ムンドク)将軍の名前からとったものだ。

毎年乙支練習に合わせて、韓国軍は米軍とUlchi-Freedom Guardian演習を行う。韓米連合司令部が主管する訓練で1953年の朝鮮戦争休戦後から毎年行われてきた。2017年は韓国軍5万人、米軍1万7500人が参加した。時代の変化に伴い、数年前からは重要インフラ設備に対するサイバーテロを食い止める演習、位置確認システム(GPS)電波を撹乱させる演習も行っている。
 
中央政府の乙支練習は、8月21日朝、青瓦台(大統領官邸)に民防衛服と呼ばれるおそろいのジャンパーを着た大統領と国務総理、長官、ソウル市長などが乙支国務会議に出席することから始まった。

北朝鮮が繰り返しミサイル発射実験を行い、韓米連合軍事練習に猛反発している中で行われた乙支国務会議だけに、文在寅(ムン・ジェイン)大統領は「乙支練習はわが国民の生命と安全を保護するための民・官・軍の防衛体制を点検するためである。固い韓米同盟を基盤に国際社会と協力して、現在の状況が戦争の危機に発展しないよう全力で尽くす。全政府関係者と軍は、どのような挑発にも対応できる万全な警戒体制を整えてほしい」と強調した。

各省庁では、サイバーテロに備えた練習も行われた。練習用に作られたハッキングメールを送信して職員が引っかかるかどうかを見たり、省庁のホームページがハッカーに攻撃されていることを想定した練習などを行った。

IT政策を担当する科学技術情報通信部(部は日本でいう省にあたる)は、他より力を入れてサイバーテロ防止のため練習をするだろうな、と思っていたところ、なぜか職員向け戦闘配給食(ration)の試食会を開催していた。試食の目的は、安保のために献身している軍人に感謝し、戦争を間接的に体験して国防意識を高めるためだとか。楽しそうな企画で全職員が乙支練習に関心を持つようにすることも大事だ。


重要インフラである電力会社も軍と警察と合同で乙支練習を行った。電力設備が爆破され、同時にサイバーテロまで発生した最悪な状況を想定し、そこから電力設備の緊急復旧を行う練習である。全国から職員2365人が参加し、同じ練習を繰り返した。こういう時にVRを使えばより臨場感があり、必死で復旧作業が進めると思うのだが、まだそこまでは至ってなかった。

ウルジ練習も民防衛の日も戦時に備えた練習ではあるが、一般の人は「民防衛って今日だっけ? 面倒だな」ぐらいの感覚だ。8月23日は朝から市内あちこちに警察官が立ち、民防衛の日の準備をしていた。

午後2時サイレンがなると警察官の誘導でビルの中か地下鉄駅構内に入るか車の中にいるか、とにかく外にいてはならない。警察官に逆らうわけにはいかないので、私もしぶしぶ誘導に従いビルに入った。たった5分じっとしているだけなのに、とても長く感じてしまう。ビルでは入居企業が防災訓練をしているようで、警備員の誘導でロビーを走り回っていた。みんな「なんでこんなことしているんだろう」みたいな顔だった。

私もそうだが、ほとんどの韓国人は北朝鮮がミサイルを打ち上げても「あ、またか」としか反応しなくなった。危機感ゼロである。

しかし日本のニュースを見ると韓国で今にでも戦争が起きそうな報道ぶりで驚いた。すっかり平和ボケしてしまったが、韓国と北朝鮮は休戦状態のままだった。

乙支練習を主管した行政安全部は、「毎年練習を通じて、北朝鮮のミサイル発射やサイバーテロといった包括的脅威から国を守るための国家危機管理能力を点検し、戦時に備えた現実的な計画とマニュアルを作成・補完している」と説明している。

どうせ年に1回練習をするなら、もっとびしっとARやVRを使ってリアルに、実戦さながらの避難訓練をした方がいいのではないかと思うのだがどうだろう




By 趙 章恩

 

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 2017年9月

 

-Original column

http://www.newsweekjapan.jp/cho/2017/09/1-1.php

韓国のIT企業は、なぜ日本進出を夢見るのか

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意外に思えるかもしれないが、韓国は日本をIT輸出の世界重要拠点の一つと捉えて東京に韓国行政機関の拠点を置いたり、日韓のコンテンツ産業の橋渡しをする機関の拠点を置いている。また、韓国の多くの若い人材が日本での就職を望み、政府もそんな動きを支援しているのだ。なぜ、韓国の企業や人は、日本のITマーケットを目指すのか。

韓国の主要世界IT戦略拠点は
東京、シリコンバレー、北京  



 韓国の政府機関には、韓国企業の日本進出をサポートする拠点を東京に置くものがある。その中で、IT分野で中心的なサポートを行っているのが、「大韓貿易投資振興公社(KOTRA)東京IT支援センター」「韓国コンテンツ振興院(KOCCA)日本ビジネスセンター」である。

 KOTRA東京IT支援センターは、2001年に前身のiPark Tokyoとして発足、2008年からはKOTRAが運営を続けている。

 主な支援内容は、韓国ITベンチャーのための東京でのオフィス提供、企業交流のための展示会(韓国IT Expo、KOREA ICT PLAZA)や、セミナー・交流会(Korea IT Cafe)の開催、そして、日本企業に向けた韓国ITビジネスの情報提供などだ。

 KOTRAの在外国IT支援センターは、東京、米国(シリコンバレー)、中国(北京)の3カ所にしかない。東京、シリコンバレー、北京は、韓国IT産業のグローバル化を推進する戦略拠点であり、韓国のIT輸出の三大拠点であるという理由からだ。

 一方、KOCCA日本ビジネスセンターもオープンは2001年で、韓国のITコンテンツメーカーの進出支援窓口として活動している。

 日本のコンテンツ市場動向のレポートの発行、各種デジタルコンテンツの輸出に関する、対日ビジネスのサポートとコンサルティング、日韓両国のコンテンツビジネス活性化のためのイベント開催、日韓コンテンツ企業のネットワーキングイベント開催などを行い、特に、日韓共同制作のコンテンツを第三国に輸出するなどのパートナシップ構築にも積極的に取り組んでいる。

 あるいは、こうした機関のように日本に拠点を置かないまでも、韓国企業のコンテンツを日本に売り込むための商談会を定期的に開催し、日本までの渡航費や参加費などを援助する政府機関や自治体、各種協会は、実は数えきれないほど多い。

日本で認められれば
世界で通じる企業に

 実際、韓国のIT企業は、ベンチャーを中心にこうした機関のサービスを積極的に活用している。彼らが日本のITマーケットを魅力的に感じているのは、大きくは次の二つの理由からだ。

 韓国は、国民番号のIT管理を始めとするサイバーセキュリティへの対応など、IT化によって生じる各種の課題を日本に先駆けて多く経験し、成功事例や失敗事例もたくさん持っていて、そこから日本で起こっている問題に最良のソリューションを提供できる。日本企業が必要としているソリューションで、欧米企業にないソリューションをすぐに提供できるという点が一つ。

 もう一つは、自社のサービスや技術が、日本で通用すれば世界でも通用するという点だ。

 日本企業には独自の商慣行や安全基準が根強く残っていて、システム開発にも細かな注文が多い。品質管理が徹底しており、色々なテストに合格しなければならない。あるいは、24時間体制でサポートをしなくてはならないなど、グローバルスタンダード以上の要求水準が立ちはだかる。

 さながら、日本のクライアントの厳しい要求をクリアすれば、世界のどの国に行っても難しい仕事はない、と言われるほどだ。日本企業の要求の高さは、韓国はもちろん、世界で知られてるので、日本企業と取り引きしていること自体が「仕事ができる企業」という保証にもなるというわけだ。

 それに、日本企業は当初の採用基準が厳しい代わりに、一度契約を取り付ければ長期にわたって継続的に仕事をくれるという点も、韓国の企業に好感を持たれている.

韓国政府の大きな期待と
マーケット事情の間で

 多くの日本のビジネスパーソンは、韓国企業がこれほど日本を「ITマーケット」として重視していることをご存知なかったことだろう。そこで、今一度、話題をKOTRA東京IT支援センターとKOCCA日本ビジネスセンターに戻してみたい。

 KOTRA東京IT支援センターは、韓国のITの専門家や機関、有望なITベンチャー企業が海外進出を目指す際、それぞれにオーダーメードのローカライズサポートを行っている。

 同センターの直井善郎副所長は、「日本企業の優れた点、韓国企業の優れた点に触れる機会を得て、双方を合わせた新しいサービスや技術が生まれる瞬間を目の当たりにしてきました。韓国のITベンチャーは日本企業にはない発想で提案をします。しかも、開発がとてもスピーディ。日本の企業に、こうした韓国ITベンチャーの魅力を伝えたいのです」と述べる。

 東京IT支援センターの“卒業生”には、遠隔サポートソリューションのアールサポートなどがいる。同社は、NTTドコモの「スマートフォンあんしん遠隔サポート®」に採用された技術を開発した。こうしたポテンシャルを持つ多くの韓国企業が、今も同センターを訪れている。

 KOCCA日本ビジネスセンターの仕事は、ITという縛りを外し、もう少し間口を広げてみてもよいかもしれない。

 みなさんは、「駐日韓国文化院」をご存知だろうか。東京・新宿区にある個性的なデザインのビル。ここでは、韓国語教室や韓国映画上映会、韓国の伝統文化を紹介する講演など、毎日、何かしらのイベントを開催している。しかも、ほとんどが無料なので、だれでも気軽にできるという点でも好評だ。

 KOCCA日本ビジネスセンターは、日本が世界有数のコンテンツ大国であるという判断によってここに拠点を置き、日韓のコンテンツビジネス活性化を支援する。

 同センターの李 京垠(イ・キョンウン)センター長は、「今後、センターの機能をさらに拡張し、より多様な韓日ネットワーキングの場を作りたい」と述べる。

 実際、韓国政府からは大きな期待を寄せられるものの、日本のマーケットにはIT産業同様、さまざまな高いハードルがあり、その板挟みになりつつも、KPOPや映像などのコンテンツを日本でどうやって販売していくかに腐心しているのだという。

毎年倍増する来日人材
若い世代は日本で就職

 他方、日本に進出を目指しているのは企業に限ったことではない。韓国経済の落ち込みで長期化する、深刻な就職難に疲れた韓国の若い世代も日本への進出を夢見ているのだ。

 韓国政府の雇用労働部(部は、日本の省)は、日本のIT企業に就職を希望する34歳以下の人を対象に、年に数回「日本就職成功戦略セミナー」を開催している。

 2017年3月のセミナーは申し込み者が多過ぎたあまり、ソウル市内で最も大きな展示施設「COEX」で行われた。セミナーでは、日本語がある程度話せることを前提に、エントリーシートの書き方、面接マナー、日本の経済や日本企業の雇用動向に関するレクチャーが行われた。

 雇用労働部は、「東京オリンピックやアベノミクス効果で、日本の景気は上向いており、韓国とは逆に、求人難のため外国人の雇用も増えている」と説明。同部の支援で日本に就職した韓国の人材は、2014年で338人、2015年で632人、2016年には1103人と倍増近い勢いで毎年大幅に増えている。今年からは、技術分野だけでなく事務職の斡旋も始まった。夏以降は、日本就職に向けた勉強会、合宿、企業説明会も随時開催するという。

 また、ソウル市内には、システムエンジニアとして日本で就職したい人のための「日本IT就職塾」もたくさんある。ここでは、情報処理技師資格証(日本の情報処理技術者のような資格)を持っている人は日本語を勉強し、ITに関する知識が全くない人は、アプリケーション開発の基礎と日本語を一通り勉強する。

 こうした民間の「日本IT就職塾」は、1990年代後半から見られるようになったが、20年経った今でも、根強い人気を保ち続けている。

 日本に進出する韓国企業が増え、日本で就職する韓国人が増えることについては、日本のローカル企業や日本人人材との間での競争が激化する懸念もあるものの、長期的に見れば、日韓双方に良い方向に進むのではないかと、個人的には期待している。


趙 章恩=(ITジャーナリスト)

 

ダイヤモンド online

「コリア・ITが暮らしと経済をつくる国」

2017.4.

 

-Original column

http://diamond.jp/articles/-/125902

韓国経済を震撼させる「Galaxy Note7」発火事故

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サムスン電子が満を持して発売した「Galaxy Note7」に、原因不明の発火事故が相次いだ。これにより同社の業績が大きく落ち込んだことはもちろん、「Galaxy」は、IT関連製品・サービスの輸出を国の一大産業と位置付ける韓国の代表ブランドだけに、韓国経済全体への大打撃が懸念されている。

いまだ正確な原因不明の
Galaxy Note7発火事故

 まさか、自分が人生初の予約購入までして手に入れたスマートフォンが、ネット上で「時限爆弾」と揶揄されることになるとは。



 今年8月、歴代「Galaxy」シリーズので中でも、機能性やデザイン性のどれを取っても有数の作になるだろうといわれ、鳴り物入りで発売されたサムスン電子の「Galaxy Note7」が突然発火する事故が相次ぎ、2度のリコールが行われるという事態に至った。

 9月2日には出荷が停止されたが、この時点ですでに250万台が市場に出回っており、同社では、これらを全てリコール対象とすると共に、発火の原因はバッテリーにあるとして、別メーカーのバッテリーを実装した同端末との交換を行った。

 しかしその後、バッテリーを入れ替えた端末でも発火事故が続いたため、同社は10月に入り、韓国とアメリカで製造販売を中止。日本やヨーロッパなどでの発売も見送りとなった。

 本稿を執筆中の10月26日時点でも、発火原因は一向に不明のままだ。この事態に、政府機関である韓国産業技術試験院、国家技術標準院も調査に乗り出した。これらの調査過程では、バッテリーだけでなく、アプリケーションプロセッサや端末設計自体など、あらゆる不具合の可能性が取りざたされている。

 実際、発火事故が起きる前からサムスン電子のホームページには、「Galaxy Note7」に関しての色々な不具合が書き込まれていた。代表的なものが「充電中の過熱」と「急速な放電」である。

「ワイヤレス充電すると充電しても、かえってバッテリー残量が減る」「100%充電しても数分後には30%まで落ちる」「ゲームも動画も利用していないのにバッテリーの減りが激しすぎる」「充電を始めると怖いほどバッテリーのところが熱くなる」――などなど。

 私の場合、リコールのために3度もサムスン電子のサービスセンターを訪問し、新しい端末が届くまでの1週間ほどは端末が使えなかった。

リコールや損害賠償請求
サムスン電子に大打撃

 そこまでして交換した新しい「Galaxy Note7」だったが、結局、バッテリーが過熱することもなく充電にも問題はなかった。しかし、巷間いわれているように、万一発火すると自分がケガすることはもとより周りの人に迷惑を掛けてしまうことになる。そうなっては一大事だ。

 そんなこんなで、しぶしぶながら私は「Galaxy Note7」を捨て、「Galaxy S7」に機種変更した。ところが、韓国国内で販売された約55万台の「Galaxy Note7」のうち、回収されたのはわずか10%程度で、残りの約50万台近くが、いまだに国内のどこかで使われているというではないか。ちなみにアメリカでは、まだ100万台ほどがそのまま使われているそうだ。

 その一方で、訴訟を起こすユーザーもいる。10月24日、韓国で「Galaxy Note7」の購入者527人が、サムスン電子を相手に損害賠償を求める訴訟を起こした。購入者らは、端末交換や払い戻しのためにセンターを訪問した際の交通費や製品使用に伴う不安などの損害賠償金として、1人当たり50万ウォン(≒4万6000円)を要求している。

 10月18日には、アメリカニュージャージー州でも、「Galaxy Note7」を購入したユーザー3人がサムスン電子米国法人を相手に損害賠償訴訟を起こした。

 発火の恐れがあるとして何週間も電源を切ったまま端末を使えなかったにも関わらず、端末の月賦と通信料を払い続けなければならなかったこと、端末の交換がスムーズに行われずユーザーを危険にさらしたことを賠償すべきと主張した。

 このアメリカでの訴訟は、原告が勝訴すれば他の購入者も賠償金を得られる集団訴訟であるため、サムスンが負ければ莫大な賠償金が必要となるだろう。

 「Galaxy Note7」の製造販売中止で、サムスン電子の経営実績は急速な落ち込みを見せる。同社が公式に発表した「Galaxy Note7」関連の損失だけで7兆ウォン(≒6426億円)を超えるからだ。

 同社が10月12日発表した、2016年7~9月の暫定業績によると、売上は前年同期比9.06%減の47兆ウォン(≒4兆3158億円)、営業利益は、前年同期比29.63%減の5兆2000億ウォン(≒4775億円)である。

事態はもはや国レベル
経済減速に追い打ちか

 「Galaxy Note7」の生産台数は推定で430万台(このうち韓国とアメリカでの販売台数は約250万台)なので、これを全て廃棄すれば相当な損失になる。

 加えて、協力会社が生産途中だった「Galaxy Note7」の部品や、部品を生産するために購入した原材料も全てサムスン電子が買い取ることになった。韓国国内のサムスン電子スマートフォン製造関連協力会社は、中小企業を中心に1000社近くある。「Galaxy Note7」の製造中止で無期限休業した会社もあると報じられているほど、その打撃は大きい。

 実は、日本の大手企業にも「Galaxy Note7」向けの部品を同社に供給している企業は少なからずあるため、今回の事態は、日本としても決して他人ごとではない。

 何よりも、「Galaxy」ブランドのイメージダウンは大きな痛手だろう。特に、「Note7」は、サムスン電子としても前作の「Note5」や「S6」よりも遥かに力を入れて世に送り出した自慢のスマートフォンで、ファンを中心に購入予約が殺到するほどマーケットの期待も大きかった。

 それが、まさかの原因不明の発火事故である。その打撃は損失金額以上に大きいはずだ。

 サムスン電子は今回のリコールを機に、製品の安全性強化のため、品質点検プロセスを全て見直すと発表した。どのように見直すのか、具体的な実行計画はまだ発表されてないが、まずは「Galaxy Note7」の発火原因を究明し、スマートフォンビジネスを担う無線事業部をはじめ、全社の業務プロセスを見直すとしている。

 同社はスマートフォンの販売台数では世界1位(営業利益ではアップルが世界1位)であり、今まで年間3億台を超えるスマートフォンを販売してきた。これは当然、韓国経済にも大きな影響を与える。

 未来創造科学部(「部」は日本の「省」)のデータによると、2016年9月の韓国のICT産業全体の輸出額は145億3000万ドル、輸入額は73億4000万ドルで、71億9000万ドルの黒字だったが、携帯電話端末の完成品と部品の輸出額は18億7000万ドルで、前年同月比33.8%の減となった。

 韓国では今回の発火事件によって韓国産携帯電話全体のイメージが悪くなり、輸出がさらに冷え込むのではないかと深刻に懸念する声もある。

 その一方でサムスン電子は、2017年春リリース予定の新機種「Galaxy S8」の話題を広げようとしているが、その前に、今回の発火原因を究明することが先決である。


趙 章恩=(ITジャーナリスト)

 

ダイヤモンド online

「コリア・ITが暮らしと経済をつくる国」

2016.11.

 

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http://diamond.jp/articles/-/106472

韓国の伝統女子大で起こった「ITデモ」

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韓国の梨花女子大学で、学生による大規模なデモが起こった。新設学部設立反対を訴え、1万人の学生と卒業生が参加したこのデモは、学生と卒業生だけが利用できるコミュニティサイト上で、時間を掛けた議論の下に実施されたことが話題になった。

韓国屈指の女子大で
学生200人が立てこもり 


 韓国屈指の歴史ある女子大・梨花女子大学で7月28日、学生と大学当局が対立、200人を超える学生らが大学本部棟に立てこもり、長期にわたる大規模なデモ行動を行った。

 学生側の要求は、韓国教育部(注1)と大学が一方的に進めた「未来ライフ大学(=学部)設立」の白紙撤回と総長の辞任である。 韓国屈指の歴史ある女子大・梨花女子大学で7月28日、学生と大学当局が対立、200人を超える学生らが大学本部棟に立てこもり、長期にわたる大規模なデモ行動を行った。

 未来ライフ大学は、商業高校を卒業した会社員、または30歳以上の無職の女性が、面接だけで梨花女子大学に入学できるという新制度を活用した、社会人向けの新設学部だ。夜間講座やインターネット講座を3年ほど受講し、認定を受ければ学位が授与される。

 健康とファッションを専攻するウェルネス学科、コンテンツの企画・制作を専攻するニューメディア学科を、それぞれ2017年に開講する計画だった。

 おそらく、ここまでの規模のデモは、同大学130年の歴史の中で初めてのことだろう。そもそもの発端は、同大学の現役学生と卒業生が参加するコミュニティサイト「イファイアン」での、未来ライフ大学に関する議論だった。

 イファイアンは大学のサイトではなく、2001年5月に当時の学生が立ち上げたもので、在学生と卒業生のためのコミュニティサイトとして在校生が代々運営を引き継ぎ、寄付金や広告掲載で運営費を賄っている。

 コミュニティサイトではあるが、学生らが企画して取材した記事も掲載され、社会問題、就活を控えた学生向けの各界専門家インタビューなど、コンテンツは充実している。

 だが、中でも多くの学生や卒業生が訪れるのは、「秘密の花園」だ。


注1 教育部:韓国政府の教育担当行政機関。「部」は日本の「省」にあたる

「秘密の花園」の議論で
学生たちが声明を発表

 イファイアンには、梨花女子大学の学生や卒業生であることを認証した上で参加できる「秘密の花園」という匿名掲示板がある。

 この掲示板で、未来ライフ大学の設立についての賛否が議論されているうちに、次第に人が集まって多くの意見が寄せられた。

 「(未来ライフ大学は大学当局の)学位ビジネスである」「教育の質が下がる」「未来ライフ大学の設立を白紙に戻さないなら、みんなで授業料の納付を拒否しよう」など、団体行動に出ようという意見が数多く上げられた。

 そして、これら「秘密の花園」で行われた議論がまとめられ、在学生と卒業生らによるは反対声明が発表されるに至る。

 声明の内容(要約)は次のとおりだ。

●未来ライフ大学は女性の社会進出を奨励するように見えて、実は本人の能力に関係なく4年制大学の学位がないと昇進できないという社会の非合理的構造を確固たるものにする学閥主義から生まれた考えにすぎない

●高卒社会人女性に学ぶチャンスを与えるべきという大学の意見には同意するが、本当に学ぶチャンスを与えるのなら、生涯教育院(注2)のレベルを上げるか、既存の大学入試の中で社会人入試のルールを作るべきである

●特別な学部を作って学位を授与することにこだわるのは、学位商売である

 ネット上の掲示板から生まれた一連の議論、および声明の発表は、やがて、総長との交渉を要求する抗議行動として、学生200人による学内立てこもりに発展した。大学側は、警察に立てこもり学生の排除を要請、1600人の警官が大学内に進入し、もみあいで負傷する学生も出る事態となった。

 だが、それでも「秘密の花園」では議論が重ねられ、学生は意見をまとめて大学と交渉を続けた。大学の外に自分たちの意思を伝えたい時は、InstagramやFacebook、カカオトークなどのソーシャルメディア(SNS)を活用した。


注2 生涯教育院:梨花女子大学が運営する社会人向け教育施設


リーダー不在のデモは
IT世代の象徴にも

 IT時代の学生デモを目の当たりにして気が付いたのは、このデモに明確なリーダーといえる存在が見られなかったことだ。

 学生らはインターネットを基盤に議論しているので、つながりもゆるい。意思決定にも時間がかかる。昔からあるデモのイメージとは大きく異なる。

 それでも最終的に梨花女子大学側は学生の要求を受け入れた。大学側は8月3日記者会見を開き、未来ライフ大学の設立を白紙に戻すと発表した。国と大学が進めた事業が学生の反発によって白紙撤回されたのは、韓国では初めてのことである。

 未来ライフ大学の計画は白紙になったが、総長の辞任を求める学生の立てこもりは続いた。8月10日に大学内で行われた集会では、在学生だけでなく、「秘密の花園」やSNSを見て立てこもっている学生らを応援するため卒業生も集まり、合わせて約1万人を超える人がデモに参加した。

 この梨花女子大学の学生による反対行動は、他の大学にも影響を与えた。同じく社会人を対象とする未来ライフ大学を設立しようとしたソウル市東国大学でも、学生らが「学生の意見を聞くことなく一方的に進めるな」と、設立反対の声を出し始めた。

 SNSで多くの人が集結し、大規模なデモ行動につながった例としては、2010年から始まった「アラブの春」や、2014年に香港で起こった「雨傘革命」が記憶に新しい。

 梨花女子大学のデモは、これらの反政府デモとは異なり、母校のブランド価値を守るための反対行動と批判されながらも、学生や卒業生という限られた関係者が「秘密の花園」というプラットフォームで真剣な議論が重ねられたことが話題になった。

 韓国メディアも、「先輩後輩の区別なく、“コミュニティサイトやSNSではみんなが友達”という考えで意見を出し合い討論を重ねた平等なコミュニケーションは、今まで韓国になかったもの」だと伝えている。



趙 章恩=(ITジャーナリスト)

 

ダイヤモンド online

「コリア・ITが暮らしと経済をつくる国」

2016.9.

 

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http://diamond.jp/articles/-/100549

アップルで終わらないサムスン電子の特許訴訟

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サムスン電子とアップルの特許侵害訴訟に進展が見られたと思われた矢先、今度は中国のファーウェイがサムスン電子を特許侵害で訴えるという事態が。韓国政府は海外進出企業の知的財産権保護に乗り出したが、「なぜ、国がそこまで?」という策を講じざるを得ない独自の事情について紹介してみたい。

アップルだけで収まらない
サムスン電子の訴訟合戦



 2011年4月から5年も続いているサムスン電子とアップルの特許侵害訴訟が、今年の秋口から来年早々にかけて、一つのヤマ場を迎える。

 アメリカ、韓国ではもちろん、欧州各国や日本でも両社の特許侵害をめぐる訴訟合戦が続いているわけだが、韓国メディアによると、今年10月11日にアメリカでサムスン電子側の上告審が開かれることになったという。判決は2017年1月に言い渡される見込みだ。

 アップルは、サムスン電子が2011年発売した「GalaxyS」と「Galaxy Tab」のデザインが、「iPhone」と「iPad」の丸い角やアイコンの配置構成といった特許を侵害したとして訴訟を起こし、その結果、アップル側が勝訴。2015年12月に、サムスン電子はアップルに5億4800万ドルの損害賠償金を支払った。このうち、デザイン特許の賠償額は3億9900万ドルである。

 サムスン電子が上告したのはこの損害賠償額の算定方式に関する内容で、韓国では、支払った損害賠償金を取り戻せるかどうかに注目が集まっている。

 合衆国最高裁判所は、年間7000件余りの上告を受け付け、その99%を棄却するという。よって、サムスン電子の上告が受け入られただけで「この上告審は、サムスン電子に有利」と報道する韓国メディアまで出るほどだ。

 ところがそんな矢先のこと。サムスン電子は、またも新たな特許訴訟を抱えることになってしまった。

 今度は、中国のファーウェイ(華為技術、HUAWEI)が、サムスン電子が同社の特許を侵害したとして訴訟を起こしたのだ。

訴えられる側だった
中国が訴えた真相は?

 ファーウェイは今年5月、7月と、立て続けにサムスン電子を相手に特許訴訟を起こした。4G移動通信やディスプレイなどについて、ファーウェイが持つ11件の特許技術をサムスン電子がライセンス料を支払わずに使ったので損害賠償をせよ、というのだ。

 サムスン電子が特許を侵害して製造したとファーウェイが主張する機種は、「Galaxy S7」をはじめとする16機種におよび、同社が求める賠償金の金額は、7月に起こした訴訟で8100万元(約1220万ドル)となっている。

 韓国メディアは、「特許侵害で訴えられる側だった中国企業が韓国企業を相手に訴訟を起こした」として大々的にこれを報道した。

「中国技術の逆襲、ファーウェイがサムスンに特許戦争宣布」(朝鮮日報)
「後発走者の中ファーウェイ、サムスンを狙い撃ち」(東亜日報)
「サムスンを標的にしたファーウェイ、米国での技術力アピール狙い」(キョンヒャン新聞)
「ファーウェイの本音はコピー会社の汚名脱皮する意図」(SBS)

 韓国メディアは総じて、「ファーウェイはサムスン電子との訴訟で知名度を上げようとしている。サムスン電子を訴えることができるほど特許も技術もある、というイメージ作りを狙ったノイズマーケティングではないか」と分析する報道を行った。

 また、「先に特許訴訟を起こして注目を集め、それからの交渉でサムスン電子とお互いの特許を共有するクロスライセンスを申し込んだり、技術提携を提案したりする可能性もある」と分析したメディアもあった。

 これに対してサムスン電子は7月22日、反撃を行った。ファーウェイとファーウェイのモバイル端末流通業者を相手取り、中国北京の知的財産権裁判所に、ファーウェイが求めた賠償金の2倍にあたる1億6100万元(約2400万ドル)の損害賠償を求める訴訟を起こしたのだ。

 サムスン電子側は、ファーウェイが自社のデジタルカメラ特許や移動通信技術、画像保存方式など6件の特許を侵害したと主張している。

なぜ政府がそこまでの
知財保護策を講じるのか

 この訴訟に関して、韓国のIT政策を担当する未来創造科学部のチェ・ヤンヒ長官は、「企業の知的財産権、IT分野の標準特許取得と保護を政府が手助けしなければならない」という趣旨の発言を行った。

 じっさい、韓国ではサムスン電子とアップルの特許訴訟が始まってから、各企業で特許訴訟対策が始まっている。その根底には、韓国の産業構造独自の事情が横たわる。

 韓国の人口は5000万人程度であるため、必然的に内需よりも輸出重視の産業構造が成り立っている。企業は、裁判をしてでも海外マーケットを死守する必要があるのだ。これは、スタートアップベンチャーだろうが、財閥企業だろうが事情は同じである。

 グローバルマーケットで生き残るためには、国際的な知財訴訟に勝ち抜いてブランド価値を保つ必要もある。だが、難しいのは、韓国国内では問題なくても、海外では特許侵害となってしまうケースや、その逆のパターンだ。

 7月19日、韓国特許庁は、海外進出を目指す中小企業の知的財産権を守るため、アジア・オセアニア専用の知的財産権訴訟保険加入費の7割を補助すると発表した。

 保険でカバーできるのは、知的財産を侵害された場合の警告状作成、鑑定費用、訴訟手数料、代理人費用など、因果関係が明確で算定可能な費用である。損害賠償金や和解金、罰金などは保険でカバーできない。

 さらに特許庁は、知的財産権訴訟保険に加入した中小企業を対象に、輸出しようとしている製品が海外の特許を侵害していないか事前に調べたり、海外で似たような製品があるときの対応方案を分析したり、企業別にコンサルティングも提供することにした。

 もちろん、日本企業も数々の国家間での知財訴訟を抱えているだろう。しかし、韓国が国を挙げ、知財に関するここまでの企業保護策を進める背景には、日本はじめ、各国よりもはるかに内需が少なく、有無を言わず海外と勝負しなくては、国の産業自体の死活問題につながりかねないという痛烈な事情が存在するのだ。



趙 章恩=(ITジャーナリスト)

 

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「コリア・ITが暮らしと経済をつくる国」

2016.8.

 

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http://diamond.jp/articles/-/97389

韓国では義務教育でサイバー攻撃対策を教える

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5月、韓国政府は、小中高校で子どもにサイバーセキュリティ教育を受けさせる「サイバーセキュリティ人材養成総合計画」を発表した。韓国では、北朝鮮からとみられるサイバー攻撃が後を絶たない状況下、国を挙げてのサイバーセキュリティ人材育成が不可欠なのだ。オリンピックを前に、日本でもサイバーセキュリティ対策は進むが……。

サイバーセキュリティを
小学校の授業でも教える 



 韓国政府は2016年5月、国のICT政策である「K-ICT戦略2016」を公表、その中で「サイバーセキュリティ人材養成総合計画」を発表した。

 今後5年間で、サイバーセキュリティ専門家の最精鋭7000人を養成することを目標に、小中高校で子どもにサイバーセキュリティ教育を受けさせるというものだ。

 まずは2017年までに、小中高校別のサイバーセキュリティ科目の教材を開発し、小学校からサイバー攻撃に対する防衛についての授業を行う環境を整える。すでに、2018年から小中高校でコンピュータプログラムを作成するコーディングの授業の実施がが決まっていたが、今回の決定はそれの上をいく徹底ぶりだ。

 サイバーセキュリティ科目を教える教員の養成はもちろん、サイバーセキュリティ関連の職業体験イベントも随時行う。さらには、「ジュニアハッキング大会」を頻繁に開催し、小学生のうちからホワイトハッカー(注1)の素質がある人材を発掘して英才教育を実施する。

 大学教育においては、サイバーセキュリティに特化した学科を増やすための援助などを行う。2015年には、高麗大学、ソウル女子大学、亜州大学の3校が「サイバーセキュリティ特性化大学」の認可を受けたが、2020年には、これを12校にまで拡大。その他の大学でも、サイバーセキュリティ講座を増やしていく。

 また、特定の企業に就職することを条件に、企業から修士課程2年間の学費と生活費を支援してもらう「雇用契約型大学院」制度をサイバーセキュリティ分野にも適用する。

 韓国には、子どもの頃から国を挙げて徹底したサイバーセキュリティ教育を行う必然性が、たしかにある。今年に入ってからも北朝鮮からとみられるサイバー攻撃が後を絶たないのだ。


注1:ホワイトハッカー 善意によりハッキング技術を駆使する人。コンピュータシステムやネットワークなどに調査のために入り、セキュリティー上の欠陥や不正侵入を監視する

北朝鮮とみられる
サイバー攻撃が続々

 5月31日、ソウル中央地方検察庁は、「2015年秋から2016年1月にかけて、情報セキュリティ会社をハッキングしたのは北朝鮮の組織」という内容の捜査結果を発表した。

 北朝鮮のハッキング組織が、韓国のある金融情報セキュリティ会社のサーバをハッキングして悪性プログラムを仕込み、アクセスした社員の端末が感染。ハッキング組織は感染端末からこの会社のコードサイニング証明書(注2)を盗み、これを偽造して内部資料を盗もうとしていたらしい。

 ソウル中央地方検察庁の「個人情報犯罪政府合同捜査団」(注3)の捜査によれば、同社が保有するテスト用のデモサーバには、複数回にわたって北朝鮮のIPアドレスからのアクセス形跡が残っていたという。幸い、ハッキングが早期発見できたため、公共機関などのデータが盗まれるなど、大事には至らなかった。

 5月中旬には、韓国空軍ホームページのサーバがハッキングされ、空軍内の端末10台が悪性コードに感染する事故も起きている。韓国メディアによると、空軍の調査結果、北朝鮮のハッカーがよく使う手法でハッキングされた形跡が見つかったという。

 また、3月には、北朝鮮が韓国の外交・軍責任者のスマートフォンをハッキングし、40人の通話内容とショートメッセージサービス(SMS)の内容を盗んだと、国家情報院が発表した。

 さらに2月には、北朝鮮のハッキング組織が韓国の地方鉄道公社の職員にフィッシングメールを送り、職員のメールアドレスとパスワードを盗もうとした事件があった。この事件は、国家情報院が北朝鮮のハッキングの兆候を見つけて調査にあたっていたことにより発覚したものだ。

 このような北朝鮮によるハッキング、そしてサイバーテロの危険性が高まる中、社会の混乱と経済的被害を防止するため、サイバーセキュリティはとても重要な分野になった。


注2:コードサイニング証明書 インターネット上で配布・流通するソフトウエアを誰が作ったかが確認できるデジタル署名

注3:個人情報犯罪政府合同捜査団 2014年4月に発足。個人情報を盗むハッキング事件を専門的に捜査する。検察の指揮の下、ホワイトハッカー、IT専門検察捜査員、警察、金融監督院、国税庁、韓国インターネット振興院、未来創造科学部、安全行政部、放送通信委員会、大統領官邸の個人情報保護委員会など複数の省庁から集まった70人が捜査にあたる


オリンピックを控え
日本でも人材育成を

 北朝鮮が韓国にハッキングを行う目的は、専ら国や企業の情報の略取や業務の妨害であり、中国からのハッキングが主に金銭を盗むための情報収集であるのとは大きく異なる。

 世界屈指の電子政府を構築し、国民が住民登録番号をネットに登録してあらゆる行政サービスの便宜を享受している韓国だけに、敵国からのハッキングに対する脅威は並み大抵ではないことは理解してもらえるだろう。

 だからこそ、国民に子どもの頃からサイバーセキュリティ教育を徹底することはもちろん、韓国は、サイバーセキュリティに関する技能を身に付けた人材を社会において重用する仕組みも整えている。

 例えば、軍においては、ホワイトハッカーを「サイバーセキュリティ特技兵」として任用したり、その他の職業でも、女性のサイバーセキュリティ専門家が出産や育児でキャリアが途切れることを防ぐため、本人が希望すれば再教育を受けられ、復職や再就職がしやすいようサポートしている。

 産業全体においても、今後注力するIoT(モノのインターネット)分野のように、複数の製品や産業分野が融合する分野では特にサイバーセキュリティが重要になるため、現在、「融合産業セキュリティ強化のためのガイドライン」の制定が急がれている。もちろん、アメリカなど諸外国政府とのサイバーセキュリティ関連情報の共有協力体制もさらに強化していく。

 日本でも、行政機関などに対する海外からのサイバー攻撃は頻繁に発生している。2015年に日本年金機構への攻撃や「アノニマス」による攻撃が報じられたのは記憶に新しいが、警察庁の発表によれば、同年、添付メールによる攻撃やインターネットバンキングに関する不正送金被害が、いずれも過去最悪を記録したという。

 これらを受けて今年4月、「改正サイバーセキュリティ基本法」が成立。政府機関に加え、独立行政法人にも内閣サイバーセキュリティセンター(NISC)によるセキュリティ監視の範囲が拡大されることなどが定められた。

 さらに日本政府は、2020年の東京オリンピックを見据えたサイバーセキュリティへの対策を打ち出して行くようだが、否応なしに世界の耳目が集まる一大イベントに際し、韓国がサイバーセキュリティ人材を広く育成することに本腰を入れている姿は、ぜひ、参考にしていただきたいと思う。



趙 章恩=(ITジャーナリスト)

 

ダイヤモンド online

「コリア・ITが暮らしと経済をつくる国」

2016.6.

 

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http://diamond.jp/articles/-/92848

携帯「実質無料」規制から1年8ヵ月、韓国の懸念

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今年2月から携帯3キャリアによる「実質ゼロ円」の端末販売方式が廃止された。韓国ではすでに、2014年から法律によって実質無料販売が規制されている。法施行から1年8ヵ月。格安携帯へのユーザー流出に加えて、新たな懸念がユーザーや業界の間からも噴出し始めた。

韓国版「実質ゼロ円」は
法律によって規制されている



 日本でも2016年2月から、大手3キャリアが携帯端末の「実質ゼロ円」販売方式を廃止した。以降、スマートフォンの新規販売台数は激減し、ユーザーがSIMフリー端末などに流れているようだ。

 韓国では2014年10月に「端末機流通構造改善法(端通法)」が施行され、法律によって日本より一足先に実質無料の端末販売が禁じられた。それから1年8カ月経った今でも、ユーザーの不満は後を絶たない。

 端通法の狙いは、大きく3つある。

(1)携帯端末の出荷価格を高く設定してから補助金を支給する仕組みを抑制し、最初から適正な価格で販売する

(2)キャリアの乗り換えや新規加入を優遇し、長期加入者の機種変更には端末購入補助金を付けないといった差を付けるマーケティングをやめる

(3)端末の流通構造を明確にする

 端通法によって、ユーザーがもらえる購入補助金は、キャリアの乗り換えでも新規加入でも機種変更でも同じく最大33万ウォン(5月18日時点で約3万円)になった。

 キャリアは毎週自社のホームページに、端末の機種と加入条件ごとにいくら補助金を支払うのか告知しなければならない。ただし、代理店からの補助金も若干認められている他、発売から15カ月以上経過した古い機種の場合は、33万ウォン以上もらえるケースもある。


格安携帯に流れていく
ユーザーが止まらない

 それまでは、同じ機種、同じキャリアで同じ料金プランを選択しても、携帯ショップごとに端末価格がばらばらなのが当たり前だった。

 韓国の携帯ショップは、よくソーシャルメディアを使って宣伝するので、ソーシャルメディアを頻繁に利用する人やインターネット検索能力が高い人は、キャッシュバック金額が高いショップを見つけることができるが、そうでない人たちは高い金額を払って端末を購入するしかなかった。

 こうした不公平を是正するために韓国政府は端通法を施行したわけだが、ユーザーの反応は決して良いものではない。「みんなで平等に高く携帯電話端末を買う法律」「キャリアだけが儲かる法律」と、反発の声が圧倒的に多いようだ。

 法律施行から1年8カ月後の現在、韓国の携帯電話市場はどうなったか。

 韓国の通信政策を担当する未来創造科学部(注1)は2016年4月末、端通法施行で家計の通信費負担が軽くなったという報告を行った。それによると、携帯電話利用料の毎月の支払い平均金額は、2014年7~9月の4万5155ウォン(5月18日時点で約4000円)から、2016年4月には3万9142ウォン(同・約3600円)と13%ほど減っている。

 だが、韓国メディアは「利用料が減ったのは、ユーザーがより安い料金プランを選択した結果」としてこの報告を批判した。仮想移動体通信事業者(MVNO)や中古端末を利用するなど、ユーザーが自ら安く携帯電話を利用する方法を模索したからであり、端通法のおかげではないという。

 実際、韓国では、いわゆる「格安携帯」と呼ばれるMVNOの加入者が増加しており、未来創造科学部の統計によると、MVNO加入件数は、2014年末に458万件だったものが、2016年4月には620万件に増え、携帯電話契約件数の10.2%を占めるようになった。韓国のMVNOも、通信キャリアのネットワークを借りてサービスする仕組みは日本と同じだ。

 MVNOのサービスは、SKテレコム、KT(韓国通信)、LGユープラスの通信キャリア3社に比べて料金が安いだけでなく、全国の郵便局が販売窓口になっているので気軽に申し込めたり、スマートフォンを賢く買うための口コミサイトが増えたのも加入者が増えた理由の一つだろう。


注1:「部」は日本の「省」に相当


携帯実質無料規制から
1年8カ月後の新たな懸念

 とはいえ、MVNOにユーザーが流れたものの、端通法施行で補助金などのマーケティング費用が大幅に減ったおかげで、通信キャリア3社の収支は大幅に改善した模様だ。

 朝鮮日報は、「端通法以降、通信キャリア3社のマーケティング費用合計は、前年比で1兆ウォン(5月18日時点で約910億円)も節約でき、営業利益も大幅に改善した」と報じた。また、韓国消費者連盟も「キャリア3社の2015年営業利益は、3兆6000億ウォン(同約3300億円)で前年比1.8倍になった」とし、「利益を消費者と共有すべき」と主張した。

 しかし、サムスン電子やLG電子の韓国産スマートフォンは日本円でおよそ8万~9万円。すでに飽和している市場で、新製品の価格が高くて売れないのでは、販促コストが減って収支が改善したといっても、通信キャリアはもちろん、端末メーカーも喜んでばかりはいられない。

 4月24日付の韓国経済新聞は、「いつまた端末購入補助金規制が緩和される分かわからないので、お金を他の投資に回せない」という通信キャリア側の不安を伝えている。

 そして、もう一つの大きな変化は、機種変更をせず長期間同じ端末を使う人や中古端末を利用する人が増えたため新製品端末が売れず、主にキャリア直営店以外の中小携帯ショップが経営難に陥って、次々と倒産したことだ。ここ最近で1000軒近くの携帯ショップが倒産したという報道もある。

 一方で、通信キャリアのテレビCMも、専ら各種サービスとのバンドルによる割引料金や家族割引、メンバーシップ割引(注2)、あるいは、キャリアが開発したアプリの宣伝などが多くなった。

 これらは、「格安携帯」へのユーザー流出が続く中で、データ通信のユーザーを増やし、利用料から数パーセントを代理店に還元することで、何とか直営以外の代理店を生き残らせようとするキャリアの苦肉の策なのだ。

 とかく施行当初から「キャリアだけが儲かる」という点だけがクローズアップされがちだった端通法だが、ここに来て、安価な中国製端末の普及で国内メーカーの開発が停滞し、韓国語の入力など国特有のユーザビリティに影響が出ないか、あるいは、韓国メーカーの競争力自体が低下するのでは、といった懸念の声も挙がっている。

 日本の「実質ゼロ円」廃止は、携帯市場にどんな影響を及ぼすのだろうか。


注2:メンバーシップ割引:年間の支払い通信料に応じ、提携店で各種割引や無料サービスが適用される特典



趙 章恩=(ITジャーナリスト)

 

ダイヤモンド online

「コリア・ITが暮らしと経済をつくる国」

2016.5.

 

-Original column

http://diamond.jp/articles/-/91526