[韓国ソーシャルイノベーション事情] 高校生たちが考えた給食の食品ロス解決イノベーション「レインボートレイ」

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韓国では昔から食べ残しが出るぐらいでないと客をもてなしたとは言えない、という考え方が根付いている。客がきれいに平らげたのはもてなしが足りない、料理が足りないという意味だとして、客が手をつけようがつけまいがとにかくすごい数の料理を出すのが韓国式のもてなしである。当然食品ロスも大量に発生する。もったいないから無駄なもてなしはやめようというメディアのキャンペーンも数多く行われてきた。

 それに、韓国では一般家庭の食品ロスも減らすため、「食べ物ゴミ(生ごみ)」は専用の有料の袋に入れて捨てるようにしている。自治体ごとに費用や処理法は違うが、ソウル市の場合はどこも食べ残しは燃えるゴミではなく「食べ物ゴミ」として費用を出して処理しないといけない(韓国では燃えるゴミも自治体ごとにある専用の有料の袋に入れて捨てないといけない)。それにもかかわらず、「食べ物ゴミ」はなかなか減らない。

 日本では米粒一つ残さず食べる人が多く、テレビの料理番組では野菜の皮まで捨てずに調理するのを見てとても驚いたものだ。ところが、最近の日本の子供はそうでもないらしい。1月13日付毎日新聞には、大阪市立中学校の生徒が給食を3割も残していて、推計で年間5億円もの食材が捨てられるようなものだという記事が載っていた。大阪市だけが異常に多いから記事になったと思うが、「モッタイナイ」の言葉で代表される食べ物を大事にする日本の精神は失われたのだろうか。

 韓国はもともと食べ残しがあって当たり前の生活環境だからか、給食の食品ロスは学校給食が本格的に始まった1994年以来ずっと問題になっていた。食べ残しが多いとその分無駄な食費を使ったことになる。食品ロスが増えれば環境汚染も問題になる。食品ロスを減らせば無駄がなくなり、その分給食の質がよくなる。学校の教師たちは毎日のように「今日は食べ残しのない日を目指そう」と学生たちを指導しているが、なかなかうまくいかない。

 そこで給食の食品ロスをなくそうと立ち上がった高校生たちがいる。教育熱の高い地域として有名なソウル市木洞(モクドン)にある中高生7人と教師である。元々は海洋汚染の原因について勉強していたところ、原因の一つに食品ロスがあることを知り、これを減らすにはどうしたらいいのかと悩み始めたそうだ。この中高生たちはサムスン電子が毎年行っている「Samsung Tomorrow Solutions」公募で賞までとったすごい学生たちなのだ。

 サムスン電子の公募は人々の生活や社会をよくするイノベーションアイデアを競うもので、2015年度は1235チーム、5823人が応募、12チームが受賞した。受賞すると、アイデアを実現するための費用と賞金がもらえる。入賞チームへの賞金総額は2億ウォン(約2000万円)である。

 アイデア審査は専門家やサムスン電子の役員だけでなく、ネットに各チームのアイデアを公開し、ユーザーによる投票も行った。受賞したチームがアイデアを実現するため、技術的なところはサムスン電子の社員らが助けた。

 レインボートレイは2014年度に最年少チームでありながら最優秀アイデア賞を受賞、2015年度はそのアイデアを実践して社会に影響力を発揮、学校や軍部隊の食品ロスを7割も減らした功績が認められてインパクト賞を受賞した。

 木洞の中高生たちが出したアイデアは「レインボートレイ(ランチプレート)」と呼ばれる給食用食器である。レインボートレイは、韓国の学校や軍部隊、企業の社員食堂など、団体給食の際に必ず使われるステンレス製のランチプレートの底に目印を書き、ここまでごはんを取ったら茶碗1杯分、ここまでは2杯分などと量がわかるようアイコンを入れた。レインボートレイは既存の給食用ランチプレートに線を書くだけなので、製作費もかからないしすぐ導入できる。しかも見た目がかわいい。

 誰もが思いつく簡単なアイデアではないかと思うかもしれないが、ここまで色々な失敗があった。中高校の給食は大きな一枚のランチプレートに食べたい分料理を取るスタイルが定着していた。7人の中高生たちは、なぜ給食を残すのか友たちの様子を観察したという。家ではお茶碗で食べるので、1枚のランチプレートだと、自分がどれぐらいの量を取ったらいいのかわかり難く、どれもおいしそうなのでつい多めに取って食べきれず残してしまう問題があった。そこでしゃもじやお玉のサイズを小さくすることもやってみたがうまくいかなかった。日本ではおいしくないから給食を残し食品ロスが増える問題があるそうだが、韓国では給食の味はあまり問題にならなかった。

 試行錯誤の末、レインボートレイを思いついた。給食用のランチプレートも軽量化し、自分がランチプレートにどれぐらいの食べ物を取ったのが重さを感じられるようにした。自分が食べられる量だけを取る、これだけで食品ロスは画期的に減少した。実際にレインボートレイを導入した中高校では、一人130グラムもあった食品ロスが10グラムにまで減ったという。

 中高校生のアイデアで給食の食品ロス問題を解決できたことは韓国中で話題になった。レインボートレイを使って給食を食べる様子や、食べ物が残らない様子を韓国のテレビ局だけでなく、中国の国政テレビ局「中国中央電視台」まで撮影に来たほどである。

 中高生による中高生のための中高生目線で考えた給食の食品ロス解決イノベーション「レインボートレイ」は、今や全国の軍、企業の社員食堂にも広がっている。



By 趙 章恩

 

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 2016年4月

-Original column

http://www.newsweekjapan.jp/cho/2016/04/post-4.php

[韓国ソーシャルイノベーション事情] 垢すりで乳がん発見? 韓国乳がん学会と沐浴管理士連合会が協力

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実は、韓国で垢すりおばさんが乳がんの救世主だということをご存じだろうか。

 韓国のマンションには平均してバスルームが2つある。4人家族だと4LDKに住むのが普通のことで、バスルームはリビングと夫婦用の寝室にそれぞれある。2人暮らし用の小さいマンションでも、共働き夫婦の朝の準備のため、バスルームを2つ置くマンションが増えた。それにもかかわらず、韓国人はサウナ付き銭湯に行くのが大好きである。大きな湯船で肌をやわらかくしてから、垢すりおばさんにきれいさっぱり一肌むいてもらうと、肌はつるつるして艶がでるからだ。

 この垢すりが、韓国の乳がん早期発見にとても役立っていた。韓国乳がん学会によると、垢すりおばさんに「胸にしこりがあるわよ。病院に行ってみたら?」と勧められ乳がん検診をうけたところ、早期にがんが見つかり治療できた、という事例がかなりあるという。

 韓国乳がん学会は2014年から現在まで、ピンクリボンキャンペーンの一環として、韓国沐浴管理士連合会と手を組み「ピンクスクラブキャンペーン」なるものを行っている。ピンクリボンキャンペーンは乳がんの知識啓発キャンペーンであり、世界各地で行われている。スクラブはごしごし洗うという意味である。ピンクスクラブは韓国独自のキャンペーンで、これは乳がん学会に所属する医師たちが、「垢すりおばさんにしこりがあると言われたので病院に来た」と話す患者が多いことに気付いてから始まった。韓国の国民健康保険は、40歳以上の女性に対して2年に一度無料で乳がん検診を実施しているが、韓国人の生活に根付いた垢すりおばさんも乳がんの早期発見に役立っていた。

 乳がん学会は、2014年から垢すりおばさんに乳がん検診の基本である触診を本格的に教えている。垢すりおばさんに、垢すりに来る女性に乳がんの自己検診について教える、知識啓蒙者の役割を託したのだ。また全国のサウナや銭湯に乳がん自己検診方法をイラストにしたポスターを貼り、早期健診を勧める活動も継続して行っている。さらに、乳がん治療のため切除するしかなかった患者が、人目を気にせず銭湯やプールに行けるようサポートするキャンペーンも行っている。

「欧米では夫や恋人が乳がんのしこりを見つけるケースが多いが、韓国では垢すりおばさんが乳がんをみつける」、という話は、韓国ではもう十数年も前から都市伝説のように存在した。乳がん学会のピンクスクラブキャンペーンによって、それが伝説ではなく事実であることが判明した。

 乳がん患者をサポートする団体「韓国乳がんセンター」のホームページにある患者の投稿を検索してみると、垢すりおばさんのおかげで乳がんを早期発見できた、という事例は、いくつもあった。過去の記事を検索してみると、「乳がんを見つけてあげたことが2回ある」という垢すりおばさんのインタビュー記事も登場した。

 韓国で話題になった、韓国保険福祉部(部は省、医療と福祉の政策を担当する省庁)のエリート官僚が自身の乳がん闘病記を書いた本にも「垢すりおばさんにしこりがあると言われたが無視した。その後また別の垢すりおばさんにもしこりがあると言われた。また無視した。それから気になって検査をしてみると乳がん、すでに3期だった。垢すりおばさんに言われたときに早く検査をすべきだった」という内容が登場する。

 韓国乳がん学会のユン・ジョンファン前会長は、「乳がんの自己検診は横になって腕を頭の上にあげて胸を触り、しこりを確認するように指導する。垢すりはゆったり横になって石鹸を付けて胸に触るのでしこりをみつけやすい環境であるのと、垢すりおばさん達の豊富な経験とノウハウが重なりしこりを発見する可能性が高くなっているのかもしれない」と話した。

 韓国保険福祉部のデータによると、2012年時点で韓国の女性がかかりやすいがんは1位が甲状腺がん、2位が乳がん、2位が大腸がんだった。乳がん学会は、韓国女性に多いのが乳がんだけに、垢すりおばさんに頼ってでも早期発見で生存率を上げることを狙っている。乳がんのもっとも効果的な治療法は早期発見、早期治療しかないという。

 韓国に遊びに来たらぜひ垢すりを体験してほしい。そして乳がん検診も忘れずに。



By 趙 章恩

 

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 2016年4月

-Original column

http://www.newsweekjapan.jp/cho/2016/04/post-3.php

[韓国ソーシャルイノベーション事情] グーグルAlphaGoとイ・セドル九段の対局、盛り上がりは人工知能のことだけではなかった

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 韓国ソウル市で人工知能と人間の囲碁対局が行われた。グーグルが買収したイギリスのディープマインド社が開発した人工知能「AlphaGo」と、挑戦的で創造的な囲碁をする世界トップレベルの棋士として有名なイ・セドル九段の対局は「世紀の対決」「歴史に残る対決」として韓国を沸かせた。12歳でプロ棋士になったイ・セドル九段は、子供のころから天才と呼ばれた棋士で、韓国で知らない人はいない有名人である。

 3月9日から10、12、13、15日の5回にわたって行われた対局で、「人類代表」のイ・セドル九段は1勝4敗、人工知能が勝利をおさめた。当初韓国では、イ・セドル九段が5勝全勝するだろうと誰もが信じていた。囲碁は人間が作ったもっとも複雑なゲームなので、人工知能は人間の知略を超えられないと考えたからだ。しかし対局が始まると、AlphaGoは人間ならこうはしないだろうという戦略で囲碁をし、勝利をおさめた。


 グーグルはこの対局の勝者に100万ドルの賞金を贈ることにしていた。賞金を獲得したグーグルディープマインドは、賞金を慈善団体に寄付した。複数の韓国メディアによると、グーグルの持ち株会社アルファベットの時価総額もうなぎのぼり。対局が行われた7日間、アルファベットの株価はA型とC型合わせて約489億ドル分(約5.9兆円)値上がりしたという。この対局でグーグル傘下にある人工知能の実力を見せつけたことが株価を押し上げたとみられる。ちなみに、アルファベットの株はA,B,C型の3つがあり、上場しているのはA型とC型である。B型はグーグルの初期立ち上げメンバーだけが保有する非上場株である。

 グーグルが囲碁をする人工知能を開発したのは、インターネット検索の機能向上のためと言われている。複数の韓国メディアによると、グーグルはユーザーが検索したキーワードからその後何を検索するか、どのような行動に出るか、10段階ほど先を読んで検索結果を表示するための研究をするため囲碁ができる人工知能に力を入れ、その結果AlphaGoが生まれたというのだ。イ・セドル九段が1勝したことで、グーグルはAlphaGoを改善できる余地を見つけた。これこそグーグルが望んでいたものではないだろうか。

対局前のイ・セドル九段は、公営放送KBSのインタビューで「グーグルから対局を持ち込まれた。対局相手が誰なのかは秘密保持の署名をしてから教えてくれた。相手が機械だなんて、本当に驚いた」と答えた。対局前の記者会見では、「コンピューターと人間が対局するのはまだ10年は先の話だと思っていたのに、(人工知能との)対局を持ち込まれて驚いた。3分ほど悩んで受け入れた。(人工知能に対する)好奇心を解決するためには直接囲碁をしてみるのが一番だと思ったからだ。今回の対局はすごい経験で、学ぶことはとても多い」と期待に胸を膨らませていた。対局に負けた時も、「対局を大いに楽しんだ。応援してくれた皆さんに感謝します」とすっきりした表情だった。

 グーグルと一緒に今回の対局を準備した韓国棋院(韓国の囲碁の統括団体)は、もう一度AlphaGoと人間の対局をしようとグーグルディープマインドに提案した。グーグルディープマインド側は、「持ち帰ってグーグル本社と相談させていただきます」と即答を避けたそうだ。韓国棋院はAlphaGoが新しい囲碁の戦略を見せたことを高く評価し、「名誉九段」の認証書を贈呈した。

 対局が終わってから、もう一つ人工知能とも囲碁とも関連がないものが話題になった。イ・セドル九段のスポンサーであるLG電子の控えめな広告が、対局が終わってからSNSで「もしかしてあれはLG電子の広告だったのか?」と話題になったのだ。

 イ・セドル九段が着用した時計はLG電子の新しいスマートウォッチで、毎日着ていたブルーのワイシャツの袖にはLG電子のスマートフォンである「G5」の文字が刺繍されてあった。ケーブルテレビやポータルサイトの生中継にはLG電子の広告が入っていたので気付いた人もいたようだが、地上波放送で視聴した人は全然気づかなかった。LG電子側は「イ・セドル九段の邪魔にならないようロゴを控えめにした」と説明した。これが口コミで広がりLG電子の好感度を上げた。LG電子は1996年から、世界囲碁選手権大会のメインスポンサーになり「LG杯世界棋王選」を開催している。


韓国ではAlphaGoの影響で人工知能に対する関心が急激に高まったのはもちろん、囲碁ブームも巻き起こっている。3月16日付の国民日報によると、対局が行われた7日間、韓国のポータルサイトでは「囲碁」が検索キーワードランキング1位になった。オンライ囲碁対戦ゲーム「Hangame囲碁」は、9日から新規利用者がいつもの3倍に増え、Google Play韓国語版のゲームランキングも囲碁ゲームが上位にランク入り、書店では囲碁の基礎を教える本が売り切れた。つい最近韓国で人気を集めたドラマの主人公が元囲碁棋士だったこともあり、囲碁ブームが起きたのだ。3月17日付の中央日報は、「囲碁市場に春が来た」という見出しで、囲碁セットを製造する工場がいつもの2倍を超える4万セットを受注したと報じた。

 特に勝っても負けても表情が変わらないイ・セドル棋士の「機械並みの強いメンタル」を子供に学ばせたいとして、早速放課後教室のプログラム(有料クラブ活動のようなもの)に囲碁クラスを導入した小学校も少なくない。幼稚園でも囲碁を教えるようになったそうだ。子供に囲碁を教える塾も受講の申し込みが殺到、大人のゲームとされていた囲碁が子供の英才教育用に注目を浴びるなど囲碁市場の裾が広がったという。

 囲碁の塾に通う子供たちは中央日報のインタビューに「AlphaGoに勝ちたい!」と答えていた。



By 趙 章恩

 

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 2016年3月

-Original column

http://www.newsweekjapan.jp/cho/2016/03/alphago.php

[韓国ソーシャルイノベーション事情] 講義を聞く猫 ── オンラインコミュニティから進む韓国の野良猫対策

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日本にはネコノミクスなるものが存在すると聞いた。2月3日付産経新聞によると、猫の駅長に会いたくて観光客が増えたとか、猫を集めるスマホゲームが大ヒットしたとか、日本における猫による経済効果「ネコノミクス」は約2兆3千億円にのぼるそうだ。さらに驚いたことに、一般社団法人ペットフード協会の「2015年度全国犬猫飼育実態調査」によると、日本では犬よりも猫を飼っている家が多いとか。

 韓国では「猫は魔物」だとして嫌がる人が多く、昔から犬好きの方が圧倒的に多い。古いデータではあるが、2013年韓国ギャロップが調査したところ、韓国の全世帯のうちペットを飼っている割合は17.4%で、1000万世帯を超えた。飼っているペットは犬が47.3%で最も多く、猫2.2%、鳥1.6%、うさぎ1.0%、ハムスター0.4%の順だった。ペットフードを製造販売しているCJ第一製糖の調べによると、2013年時点で韓国のペット市場規模は1兆8000億ウォン(約1800億円)、2020年には6兆ウォン(約6000億円)になる見込みである。それでもまだまだ日本にはかなわない。

 ところが最近、韓国人のSNSでのペット自慢を見ていると、犬より猫の方が多い気がする。オンライン掲示板では犬より猫のほうが「いいね!」の数も多く、猫の「堂々としているけどどこかまぬけ」な写真や動画が人気を集めている。

 韓国には野良猫という言葉がなく、飼い主のない猫はみんな「泥棒猫」と呼んでいた。最近やっと野良猫を「キルゴヤンイ(道猫)」と呼ぶようになった。キルゴヤンイの世話をする「キャットマム(猫のお母さん)」も急増している。そして韓国も日本と同じく、キルゴヤンイの餌やりが近所トラブルの原因になったりもする。

 韓国のポータルサイトDAUMには「ストーリーファンディング」というコーナーがある。「○○のために○月×日まで目標金額○○万ウォンの募金を受け付けます」という内容のストーリーを公開し、ネットユーザーから少額ずつ寄付をしてもらう。例えばドキュメンタリー映画の制作資金のため募金をすると、寄付した金額に応じて上映会のチケットをプレゼントしたり、映画のタイトルを書いたマグカップをプレゼントしたり、ちょっとしたお返しももらえる。

2016年2月、DAUMストーリーファンディングでもっとも人気なのが「講義を聞く猫」。国民大学というソウル市内の大学キャンパスに住むキルゴヤンイ達の避妊手術と猫給食所運営のため200万ウォンを募金しようと、この大学の学生と職員らが国民大学キルゴヤンイたちのストーリーを写真と共に載せた。

 ソウル市内にありながら山に近い国民大学では、いつの間にか猫が増え、講義室や図書館にまで入ってくるようになった。猫をかわいがる学生と怖がる学生、キャットフードをあげるだけで排泄物やごみは片付けない学生、それを批判する学生、色々な問題があった。猫にどう接したらいいのか、どうしたら猫と学生と職員が共存できるのかを悩んだ末、学生たちは猫給食所を運営して猫がキャンパス内のごみを漁ることや食べかけのキャットフードがあちこちに散乱することを防ぐことにした。氷点下15度を超えるソウルの寒さに耐えられるよう猫の家も作る。猫の繁殖を止めるため避妊手術も行うことも計画。そのため校内での募金活動に続いてDAUMでの募金を呼びかけ、2月23日時点で764人が11,146,660ウォンを寄付、目標額の5倍を突破した。

 キルゴヤンイも大事な生命なので人間と共存しないといけない、こうした考えが広がったのは3年ほど前にさかのぼる。

 2013年、猫好きで有名な大人気WEBTOON(インターネット上で連載されるデジタル漫画)作家カンプル氏がSNSでキルゴヤンイ対策を考えてみようと呼びかけた。キャットマムの近所トラブルを避けながら、キルゴヤンイが路上で生きていけるよう手助けするにはどうしたらいいのか。

 そこへカンプル氏の地元であるソウル市江東区(カンドング)が、自治体としては初めて区内約20カ所に「猫給食所」を設置した。2015年には60カ所近くに増えた。猫給食所の管理は猫好き市民ボランティア達が担当している。猫給食所でいつでもえさを食べられるので猫たちはごみを漁らない。猫給食所にやってきたキルゴヤンイを捕獲して避妊手術をし、元の場所に戻す。猫が増え続けるのを防ぎ、殺処分も減らし、発情した猫のなき声がうるさいという地域住民の苦情を減らすためである。猫給食所と避妊手術をセットにして普及させ、自治体のSNSで宣伝。さらに市民らもSNSで拡散し、キルゴヤンイのような小さい命も大事にする市民意識の変化、という流れは他の自治体にも広がった。

ソウル市が市民団体に委託して運営する猫給食所もある。主に市内の大きな公園(ワールドカップ公園、龍山家族公園、ソウルの森など)の中にある。ソウル市の場合は、公園にキャットフードをばらまくだけで後片付けをしない人が多く悪臭がひどいという苦情から始まった。

 この苦情はソウル市のホームページにある「Mvoting」コーナーに寄せられたものである。Mvotingは市民が苦情を掲載し、市民が解決策を投票で決めていくオンラインコミュニティである。ここで登場した解決策がソウル市江東区のような猫給食所の運営である。「猫と人間が共存するためえさをあげることを止めてはならない。ただし、えさやりの場所を決めて猫も人間も安心して暮らせるようにしないといけない。猫にえさをあげたい人は猫給食所宛にキャットフードを寄贈するようにすればいい」という案に大勢が賛成し、ソウル市が動くことになった。ソウル市は2016年上半期まで猫給食所にやってくる猫の7割に避妊手術をする計画である。

 SNSやオンラインコミュニティから火が付いたキルゴヤンイ対策のおかげで、韓国にも猫好きが増えている。ソウル市内でも猫カフェをよく見かけるようになった。日本に猫の駅長がいるなら、韓国には警察猫がいる交番がいくつもある。警察猫といっても警察官の心を癒すのが主な任務のため何もせず寝てばかりいる。猫の写真集や猫グッズもどんどん増えてきた。韓国でもネコノミクスが話題になりそうだ。


By 趙 章恩

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韓国ソーシャルイノベーション事情

 2016年2月
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[韓国ソーシャルイノベーション事情] サムスン電子「ラジオが聴ける冷蔵庫」を発売した理由は? 韓国人のラジオの時間

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放送形態が変われども 今でも30代以上の韓国国民にはラジオは親しまれているメディア。画像は民間地上波MBCの人気ラジオ番組「今はラジオ時代」のWebサイト

 どんなに時代が変わりスマートフォンばかり使うようになっても、韓国人にとってラジオは生活の一部、空気のような存在である。気付かないうちに1日に数回はラジオを聴いている。家にラジオがなくても、バスに乗っても、タクシーに乗っても、お店に入っても、常にラジオが流れている。BGM代わりに店内にラジオ番組を流す食堂や美容院が非常に多いのだ。

 韓国の市内バスに乗るとラジオをつけている運転手さんに出会うことがある。最近はサービス向上のためラジオをつけてはならないというバス会社もあるようだが、バスに乗っている間、暇つぶしにラジオが聴けるので私は個人的に好きである。

 バスとラジオといえば忘れられない思い出がいくつもある。

 学生だったころ、いつもバスで大学に通っていた。午後4時から6時の間バスに乗ると、ほとんどの運転手さんは地上波放送局MBCの長寿ラジオ番組「今はラジオ時代」を流していた。この番組の名物は「笑いがにじみ出る手紙」というコーナー。日常の中で大爆笑した事件を投稿するコーナーである。

 ある日の午後、バスの中では「笑いがにじみ出る手紙」が流れていた。バスの中はくすくす乗客の笑い声が止まらなくなり、ついに物語はクライマックスを迎えた。いよいよおちに入る瞬間、「次の停留場は○○です。降りる方はベルを押してください」のアナウンスが。バスの中は乗客のため息に包まれた。アナウンスと車内CMが終わり、スピーカーがラジオに戻ったときには既に番組は終わりCMに切り替わっていた──。

 あの時あの笑い話はなんだったのか忘れてしまったが、乗客が一斉に「今いいところなのに……」とため息した瞬間だけは昨日のことのように覚えている。

 2008年、ソウル市都市交通本部はバスの中でラジオを流すことを禁止しようとしたことがある。乗客へのサービス向上、運転に集中させるため、などの理由からだ。ところが韓国の大手新聞社である中央日報が実施した世論調査の結果、バス利用者の56.1%が「ソウル市の決定に同意できない」と答えた。こうした世論を反映し、ソウル市は「ボリュームを大きくしすぎない」という条件付きで、バスでラジオを流してもいいことにした。最近はバスの乗客のほとんどがスマートフォンばかり見ていてラジオをつけるバスも減っているが、それでもバスに乗って窓の外を見ながらラジオを聴いていると、なぜか時間がゆっくり過ぎていくような気がする。

 90年代までも、韓国の中高生はラジオの深夜番組を聞きながら、リクエストしたい曲や番組で紹介してほしいエピソードをはがきに書いてパーソナリティに送っていた。韓国の30代後半以上の世代は、ほとんどがラジオ番組にはまった思い出を持っている。代表的なラジオ番組はMBCの「星の光る夜に」。この番組のゲストに呼ばれることが一流スターの証とまで言われた。珍問難問続きの高校生人生相談コーナーも面白かった。

 MBCは、1995年までラジオ局宛てに寄せられたはがきを展示する「美しいはがき展示会」を開催していた。当時は1日2000通ものはがきがラジオ局に届いたという。自分の便りが選ばれてラジオで紹介されるよう、イラストを描いたり、カラフルにしたり、凝ったはがきを送る人が多く、MBCはそのはがきを捨てるのはもったいないとして展示会を開いたのだ。MBCは2014年、サムスン電子のスマートフォンを使って作成した「デジタルはがき」の公募を行ったこともある。

 インターネットの普及とともに、放送局はメールやホームページからリクエストを募集するだけでなく、放送局のWEBサイトからテレビやラジオをリアルタイムで利用できるようにしている。今テレビやラジオで流れている放送を、インターネット経由でパソコンやスマートフォンからも視聴できるようにしたのだ。

 地上波放送局は1998年あたりから「見えるラジオ」といって、スタジオ内にカメラを取り付け、生放送でDJやゲスト達の様子を見られるよう動画中継を行った。さらに、放送局ごとにラジオ専用アプリを開発、PCやスマートフォンにインストールすると、インターネット経由でラジオを聴きながら、今流れている曲名を確認したり、見えるラジオを視聴したり、パーソナリティとチャットをするようにリクエストしたり、エピソードを投稿したりできるようになった。


左:韓国の主要ラジオ各局のネット聴取用アプリ 右:韓国公営放送KBSのラジオチャンネルCOOL FMの人気深夜番組「スーパージュニアのキスよりラジオ」の見えるラジオ。番組の進行に合わせて、スタジオ内のパーソナリティ全員が見えるように画面を上下左右に分割することも。



 パーソナリティの発言にすぐ反応してチャットで応援したり文句を言ったりできるので、常に番組を作る側とリスナーが双方向でつながっていて生き生きしているのが韓国のラジオ番組の特徴でもある。双方向であるだけに時代を反映した番組作りになっている。昨年受験シーズンには、24時間道路の混雑状況をメインに流す交通放送ラジオ局が、大学受験特集と題して有名予備校講師をゲストに迎え、大学受験対策や入試問題の傾向について解説する特番を何時間も放送していた。生放送らしくリスナーから相談も受け付けていて、受験生の子を持つタクシー運転手さんが電話相談したり、交通放送とは縁がなさそうな専業主婦がチャットで相談したりしていた。

韓国の政府系シンクタンクが2015年夏に公開したラジオの利用動向調査によると、ラジオの主なリスナーは30代以上だった。10代のラジオ利用経験率は毎年急激に減少していて、週に1度以上ラジオを聴く割合は2012年10.8%から2014年5.8%にまで落ちた。20代でも2012年18.9%から2014年11.1%に落ちている。

 一方で、ラジオを週1回以上聴いていると答えた10〜50代男女のラジオの聴取時間はどんどん伸びている。スマートフォンを利用したラジオの聴取時間は2012年1日平均54.5分から2014年同77.3分に増加した。

 IoT(Internet of Things、全てのものがインターネットにつながる)の時代になってから、韓国ではラジオが聴ける冷蔵庫も登場した。サムスン電子は2016年1月、米ラスベガスで行われた家電展示会CES2016 で展示した「ファミリーハブ冷蔵庫」は、冷蔵庫のドアに21.5インチのタッチパネルとスピーカー、ネットワーク機能を取りつけた。アプリケーションをインストールしてラジオを聴いたり、音楽ファイルを再生したり、スマートテレビとつなげて映像を見たり、他の家電を制御したり、家族写真やメモを掲載したりといったことができる冷蔵庫である。韓国の主婦はキッチンで料理をしながらラジオを聴くのが好きなのかもしれない。時代は変わってもラジオはまだまだがんばっている。



By 趙 章恩

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 2016年1月22
-Original column

[日本と韓国の交差点] 無料Wi-Fiで都市問題を解決する

 東京でも無料Wi-Fiアクセスポイントがずいぶん増えた気がする。2020年の東京オリンピックを見据えたおもてなしの一つとして、訪日外国人観光客向けに無料Wi-Fiエリアを拡大しているように見える。

街中で無料Wi-Fiを使えると何がいいのか

 私のような方向音痴の人間からすると、Googleマップにアクセスすれば、今いる場所から目的地まで迷わずに行けるのがいい。紙の地図を見ながらでは、目的地までスムーズに到着したためしがない。Googleマップなしで外国に行くのは不安だ。

 それに、言葉が通じない地域でも、インターネットが使えれば翻訳・通訳サービスを利用できる。高額のデータ通信ローミングを利用しなくても済む無料Wi-Fiはとてもありがたい。

2010年の地方選を機にエリアが急拡大

 ソウル・釜山・済州など外国人観光客の多い地域や2018年にピョンチャン冬季オリンピックが開催される江原道地域では無料Wi-Fiに困ることはない。地下鉄駅構内、バス停、ショッピングセンター、カフェや食堂などあらゆる場所で無料Wi-Fiを提供している。

 韓国情報化振興院によると、自治体が運営する無料Wi-Fiアクセスポイントだけで1万1280カ所(2015年末時点)に及ぶ。毎年、平均して2倍に増えている。韓国では2010年地方選挙で、全国のほとんどの市長候補が「無料Wi-Fi網の構築」を公約に掲げた。その結果、早くから無料公衆Wi-Fiが広がった。

 中国人観光客の多い済州は無料Wi-Fiの高速化を目指していて、1Gbpsの無料高速Wi-Fiを2020年までに島全体で使えるようにする計画だ。

 無料Wi-Fiを使うのに必要なアプリケーションのダウンロードや面倒な認証プロセスもない。SSIDを選択して接続するだけですぐ使える。この点が日本とは異なる。無料Wi-Fiが多すぎるために電波が干渉するのか、速度が遅くなってしまうこともあるほどだ。

 自治体が提供する無料Wi-Fiをベースに韓国企業は、外国人観光客向け位置基盤サービスを提供している。無料Wi-Fiにつながったスマートフォンを持っていると、特定のお店の前を通るだけでクーポンが届けられる。今いる場所の近くにあるお勧めレストランや観光地も教えてくれる。

 自治体によっては、無料Wi-Fiの利用者が多い地域や、クーポンの利用が多い業種などを分析して観光政策にいかそうという動きもある。

 韓国の自治体は、無料Wi-Fiエリアを2016年からさらに拡大する。これは外国人観光客のためだけではない。市民の生活をより良くする、都市問題を解決するといった狙いもある。インターネットは空気と同様に韓国人の生活に欠かせない要素。無料で幅広く提供することで、インターネットを活用したサービスをより活性化させる。

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By 趙 章恩

 日経ビジネス
 2016年3月16
-Original column

[日本と韓国の交差点] 韓米による連合訓練開始、史上最大規模へ

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韓国の新聞とテレビニュースは3月7日と8日、韓米軍の連合訓練「キー・リゾルブ(Key Resolve)」と「ドクスリ練習(Foal Eagle=鷲)」が始まったと大々的に報じた。この訓練は毎年行われるが、今年はこれまでで最大規模だという。

(YONHAP NEWS/アフロ)

 韓国軍約30万人、米軍約1万7000人が参加し、3月7日から4月30日まで約2カ月間訓練を行う。今年は「作戦計画5015号」に取り組む。

 「作戦計画5015号」は米太平洋軍司令部が立てた作戦で、韓国のチェ・ユンヒ合同参謀本部議長とカーティス・スカパロッティ韓米連合司令官が2015年6月に合意し署名した。敵(北朝鮮)が韓国を攻撃する姿勢を見せたり、局地的な挑発を行ったりしたときに先制攻撃する(北朝鮮の軍事設備を先に攻撃して全面戦になることを防ぐ)という内容だ。去年までの訓練は「作戦計画5027」と呼ばれる全面戦争を想定した訓練だった。北朝鮮が韓国を攻めてきたら韓国の北部で韓国軍が阻止、その間に、米軍を増員して反撃する内容だった。

 朴槿恵大統領は3月7日、大統領官邸で首席秘書官会議を開き、「史上最大規模の韓米連合訓練が始まる。(訓練を通じて)安全保障に対する国民の信頼を高めるとともに、北朝鮮には、追加挑発をすると相応の対価を払うことになることを確実に理解させてほしい」と述べた。

 韓国の公営放送KBSが3月7日に伝えたニュースによると、米軍は最先端武器を続々と韓国に輸送している。垂直に離着陸できる攻撃機6機と各種ヘリコプター、強襲揚陸艦のボノム・リシャール(USS Bonhomme Richard、LHD-6)とボクサー(USS Boxer、LHD-4)、航空母艦ジョン・C・ステニス(USS John C. Stennis、CVN-74)とB-2ステルス爆撃機などである。KBSは、北朝鮮が韓米連合訓練に強く反発していることから、韓国をとりまく緊張感が一層高まったとも報じた。

防衛から先制攻撃にシフト

 ケーブルテレビの報道専門チャンネルYTNは3月8日、次のように報じた。「作戦計画5015号」は4D作戦訓練でもある。4Dとは探知(Detect)、崩壊(Disrupt)、破壊(Destroy)、防衛(Defense)を順番に行うもの。まず、北朝鮮の動きを探知する。異常が認められれば、金正恩第1書記を含む指導部を崩壊させる。金第1書記は、攻撃の最終命令を下す朝鮮人民軍最高司令官でもある。次に北朝鮮の武器を破壊し、韓国を防衛する。この4つを繰り返し訓練する。

 「作戦計画5015号」の採用は、韓米連合訓練の目的が韓国の防衛から北朝鮮の指導部に対する攻撃に変わったと理解することもできる。YTNのニュース番組に出演した軍事専門家は、「北朝鮮が核兵器を使った場合、攻撃されてから反撃するのでは遅すぎるので防衛のために先制打撃をする必要がある」と解説した。

 加えて韓米の海兵隊は今年、例年とは異なり上陸訓練を行う。最新鋭の強襲揚陸艦を使って兵士が速やかに上陸。北朝鮮の奥地まで進軍し、指導部を制圧する訓練を行う。このため、北朝鮮は敏感になっているようだ。海兵隊の上陸訓練には韓国と米軍だけでなくオーストラリアとニュージランドの海軍も参加する。

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By 趙 章恩
 日経ビジネス
 2016年3月11
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[日本と韓国の交差点] 韓国国会大混乱、テロ防止法巡りフィリバスター

 韓国の国会で今、フィリバスター(filibuster)が行われている。2月29日午後4時の時点でまだ、野党の「共に民主党」 によるフィリバスターが継続中だ。この時点でフィリバスターの累積時間は140時間を超え、前代未聞の事態となった。同党の議員108人全員がフィリバスターに参加すると申し込んだため、会期末を迎える3月11日まで続く可能性がある。

12時間近く演説を続ける、共に民主党のチョン・チョンレ議員(写真:YONHAP NEWS/アフロ)

 フィリバスターとは時間の制限なく演説を続けることで、国会の議事を合法的に妨害する行為を指す。ある議案を巡って、賛成と反対意見の議員が交互に登壇して時間制限なく国会の本会議で討論する。韓国では「無制限討論」と呼ばれる。時間制限がないため、討論中に会期が終了すれば、討論していた案件は自動的に次の会期に持ち越される。

国会議長が法案審議の手続きを無視

 発端となったのは「国民保護と公共安全のためのテロ防止法案」をめぐる与野党の対立だ。

 野党3党――共に民主党、正義党、国民の党――は、与党セヌリ党と朴槿恵大統領が早期制定を目指している「テロ防止法」は国民を監視する法であるとして、法案の修正を要求した。ところが国会議長は「国家非常事態のためテロ防止法を早急に制定しないといけない」として同法案を職権上程、これに反発した共に民主党と正義党を中心に23日からフィリバスターを始めた。

 職権上程は委員会を設置せず、国会議長の権限で法案を本会議に上程すること。法律案は本来、まず国会内部で調整して法案を作成。与野党が委員会を作って法案をもう一度審議し、この法案を本会議で審議するか破棄するかを決める。委員会が本会議で審議することを決めたら本会議に上程する。職権上程はこの一連の手続きを無視するものだ。

 国会議長は議員による無記名投票で決まるので、議員の数が多い党から選ばれることが多い。現在のチョン・ウイファ国会議長は与党セヌリ党の議員である。

韓国でもプライバシーとテロ捜査をめぐる議論

 テロ防止法はテロを防止するための法律で、2000年から議論が始まった。しかし韓国の国家機関である国家人権委員会(国民の人権を守るのが使命)と市民団体、国連難民高等弁務官事務室が懸念を示し、成立させることができないまま今日に至る。テロを防止するという名目で国家情報院(大統領直属の情報機関)が過度な権限を持ち、これを乱用すれば人権を侵害する恐れがあるとの理由だ。朴槿恵大統領は、北朝鮮のミサイル発射やパリ・テロ事件などが起きており韓国も安全ではないためテロ防止法を早く立法しないといけないという立場を取っている。

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By 趙 章恩
 日経ビジネス

 2016年3月2
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[日本と韓国の交差点] 韓国で親不孝訴訟! 「贈与した財産を返せ」

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 2月8日は韓国のお正月(旧正月)だった。家族が集まる旧正月とお盆は「名節症候群」といって、家族行事に疲れた主婦がストレスのために寝込むことがあるほど大変な連休である。お正月になると韓国のテレビは決まって家族愛、親孝行をテーマにした番組を放映する。

 ところが今年は、親不孝に関する番組が増えた。2015年末に「親不孝訴訟」が話題になったからだ。親から財産を贈与してもらったにもかかわらず親をしっかり扶養しなかった息子に対し、親に財産を返すよう大法院(最高裁判所)が命じた。

 この親不孝訴訟は「契約」が存在したため息子は親に遺産を返すことになった。親不孝訴訟の原告である父親は2003年、20億ウォン(約2億円)相当の家を息子に贈与する代わりに、息子は親と同居して親を十分に扶養するという内容の「受贈者負担事項履行覚書」を作成し、息子と合意していた。覚書には契約内容を履行しなかった場合は契約を解除するという項目もあった。

 親不孝訴訟で裁判所は、「受贈者負担事項履行覚書は民法561条で定める負担付贈与にあたるため、息子が覚書通りに親を扶養しなかった場合は贈与を取り消すことができる」と判断した。

 原告である父親は、「(被告である)息子は生活費をくれただけで一緒に食事もしなかった。親の看病を姉(原告の娘)と介護士に任せた。親を看病しないどころか介護施設に入れようとした」として訴訟を起こした。もし原告が契約なしで財産を贈与した場合、被告が原告の扶養要求を断っても何も言えない。「家をもらう代わりに親を扶養する」という覚書があったからこそ訴訟できた。

「親孝行契約」を結びたがる富裕層

 韓国のケーブルテレビ局JTBCの2月5日付報道によると、同様の「親不孝訴訟」は2002年には68件だったものが、2014年には262件に増えた。韓国の民法974条は親族間の扶養義務に関して、本人の直系家族とその配偶者を扶養する義務があると定めている。

 JTBCは親不孝訴訟が増加した原因は高齢化にあると分析した。韓国人の平均寿命は1971年の61歳から2014年の82歳に伸びた。親は「子は当然自分の面倒を見るべき」と考え、子は「数十年にもわたって親の生活費や医療費、介護費を払い続けるのは厳しすぎる」と考える。親世代と子世代の間に意識のずれが生じていることが、親不孝訴訟として表われたということだ。

 朝鮮日報や公営放送KBSによると、お正月に家族が集まった際に、条件付きの贈与契約、いわば「親孝行契約」を結びたがる富裕層が増えているという。韓国の銀行は富裕層に対し法律相談や税金相談などを無料で提供している。お正月前に親孝行契約書を用意したいと問い合わせる50~70代が増えたという。

 親孝行契約は「条件付贈与」として法的効力がある。決まった様式はないが、何を贈与して、その代わり何をすればいいのか、約束を守らなかった場合はどうするのか、この3点を具体的に明記すれば契約として認められる。

 例えば「親の財産である○○マンションを贈与する代わりに、子は親と同居し月1回は一緒に食事をする。生活費として毎月○○ウォンを親に支給する。約束を守らなければ財産を取り上げてもいい」という内容を書いて印鑑を押せば十分だという。

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By 趙 章恩
 日経ビジネス
 2016年2月19
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[日本と韓国の交差点] 開城工業地区の稼働中断は米国の圧力だった?

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韓国の世論は北朝鮮のミサイル発射にあまり関心を示さなかった(関連記事「北朝鮮がミサイル発射でも韓国はいつものお正月」)。だが、開城工業地区の稼働が中断されたことはとても敏感に受け止めている。韓国経済に与えるダメージが大きいからだ。



 韓国メディアは「韓国と北朝鮮の平和と経済交流を象徴する開城工業地区の稼働が中断したことは、南北関係が70年代に戻ったということだ」と報じた。韓国のSNSやオンライン掲示板には「南北(韓国と北朝鮮)関係の最後の砦ともいえる開城工業地区がなくなって大丈夫なのか」という書き込みが増えている。

 開城工業地区はもともと韓国の首都圏を狙う北朝鮮の軍事施設があった場所である。開城工業地区は軍事分界線から2.5Kmしか離れておらず、ソウル市内から車で1時間程度で行くことができる。1998年に進歩派の金大中大統領が就任して以降、南北の交流が活発となり、経済交流も始まった。開城工業地区は2003年に着工、2006年から韓国企業が進出し、北朝鮮の人を工員として雇っていた。

 これまで韓国企業の出入りが禁止されたり、工場の稼働が中断されたりしたことはあるが、どれも北朝鮮による一方的な措置だった。韓国が開城工業地区の稼働を主体的に中断したのはこれが初めてである。

韓国政府の方針が一転

 韓国政府はこれまで、稼働を中断することはないと何度も明言してきた。北朝鮮が水爆実験を行った直後の1月12日にも、統一部は「開城工業地区は稼働を続ける」と発表していた。

 しかし。朴槿恵大統領が2月9日、米・日の首脳と電話会談し、北朝鮮に対する制裁を強化することで合意。翌10日、キム・クァンジン国家安保室長は開城工業地区の「稼働を無期限で全面的に中断することを決定した」と発表した。

 地上波放送MBCのニュース番組は2月13日、「開城工業地区の全面稼働中断は大統領官邸が決めたことで、(朴大統領と米・日の首脳との電話会談によって開城工業地区の稼働中断が決まったといわれているが)そうではない」と報じた。

 これに対して、今度は北朝鮮側が11日、開城工業地区を軍事統制区域に指定し、韓国側の人員を全員追放した。突然の事態に、同地区にいた韓国企業の社員らは、原料と完成品を工場に残したまま、手ぶらで韓国に戻るしかなかった。


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By 趙 章恩
 日経ビジネス

 2016年2月17
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