家電から病院まで、生活に浸透するAI
最近ではニュースでその話題が報じられない日はないほど、AIは身近な存在になりつつある。AIがその人の肌に合った化粧品を作ってくれるサービス、AI採寸で体にぴったりのスーツをオーダーメイドできるサービス、商品を撮影するだけで商品名・カテゴリー名を自動入力して出品のハードルを下げているオークションサービス、「過去を捨てたい」「上司を捨てたい」という質問にナイスな答えを返してくれる自治体のゴミ分別AIチャットボットなど、日本でも身の回りで体験できるAIサービスが増えてきた。
韓国ではすでにAI家電が家庭に浸透している。韓国のほとんどの家庭が利用している有料放送は2017年からAIセットトップボックスを提供している。AIスピーカーの機能と有料放送を受信するセットトップボックスが一つになったもので、音声でテレビを操作したり、好きな俳優の名前や「雨の日に犯人を追跡する映画、あれ何だっけ?」といった会話で動画を検索したりできる。ホームIoTと呼ばれる家電や照明、空調などを音声で操作できる機能や、買いたいものを音声で伝えるとテレビの画面にお勧め商品と値段が表示され音声で注文・決済できる機能もある。近くのスーパーマーケットとも連携しているので、食品をオーダーし3時間以内に配達してもらうこともできる。
韓国の家庭でAIスピーカーやAIセットトップボックスを利用する理由の一つに「子どもの質問攻撃」がある。AIスピーカーやAIセットトップボックスはポータルサイトやWikipediaのデータベースと連携しているので、「どうして?」「なんでそうなるの?」といった延々と続く連続質問攻撃にいつまでも答えてくれるからだ。
21.5インチのモニターがついたスマート冷蔵庫も2016年あたりから普及し始めた。冷蔵庫の中にカメラを3台取り付け、スマートフォンから冷蔵庫の中身をチェックして献立を考えたり、買い物ができるようにしている。冷蔵庫が自ら残り物で何が作れるかレシピを提案したりもする。冷蔵庫のモニターからは音楽を聴いたり動画を観たり、家族に動画メッセージを残したり、テレビの画面をペアリングしてキッチンで視聴したりできる。テレビにもAIが搭載され、ユーザーが操作しなくてもテレビが映像の種類を判別して画面を明るくしたり、4K画質に変換したりしてくれる。サムスン電子のBixby、LG電子のThinQように、冷蔵庫やテレビ、掃除機、エアコン、スマートフォンなどに搭載されたAIは共通のプラットフォームでつながっているので、家族のライフスタイルを学習し、好みとその日の状況に合わせて最適な動きをしてくれる。
街中ではスマートフォンのカメラをお店の看板にかざすとメニューや口コミが表示されたり、建物にかざすとその名称や見どころを紹介する観光ガイドが始まるAIカメラもよく使われるようになった。
また、病院では韓国語と英語、医学専門用語を理解する音声認識AIが手術記録やカルテの作成をサポートして記録作成時間を短縮したり、AIが電子医務記録を管理したり、検査画像の読影を助けがん診断の正確度を向上させたりしている。IBMのWatson for Oncologyを導入した病院もあるが、2018年からはソウル大学病院を中心に韓国内で独自に自分たちに合った病院向けAIを開発する事例も増えている。
これほどAIを活用するようになりIT強国を自負する韓国だが、なかなか変わらない分野もある。大学入試、教育である。
人気ドラマが映し出す変わらぬ“入試熱”
この冬、韓国で社会現象になったドラマがある。子どもから大人まで人が集まるとこのドラマの話しかしないほどである。毎週金・土の夜に有料放送加入者向けチャンネルとNetflixで放映されるドラマだが、同時間帯の地上波放送番組より視聴率が高い。全20話で、第1話の視聴率は1.7%だったのが、第18話には22.3%を記録した。有料放送チャンネルで放映されたドラマの歴代視聴率1位である。
参考までに、韓国は全世帯の95%がケーブルテレビ・IPTV(通信事業者3社が提供するインターネット経由放送)・衛星放送のうちいずれかの有料放送に加入している。地上波放送に加え200以上のチャンネルを視聴でき、見逃した番組を好きな時に観られるVODサービスも利用できるからだ。
そのドラマは「スカイキャッスル」。韓国の上位0.1%に入るエリートたちが住む社宅スカイキャッスルを舞台に子どもを名門ソウル大学医学部に合格させることだけが生きがいの母親たちが繰り広げる欲望と嫉妬の物語である。ドラマにはお金持ちだけが利用できるという凄腕「入試コーディネーター」が登場する。ソウル大学に合格するためにはテストの成績が上位であることはもちろん、部活やボランティア、生徒会、各種コンテストでの優勝経験も必要だが、何をどうすれば大学側に高く評価されるのかをアドバイスするのが入試コーディネーターの役割である。この入試コーディネーターが担当する子どもたちに次々不幸が起きる展開になってきたことから、ネットでは「入試サスペンスドラマ」とも呼ばれている。
スカイキャッスルがなぜ人気なのかというと、ドラマと現実があまり変わらないので、共感しながら、また「そこまでする?」と突っ込みながら、私だったらどうするかといったことを友達としゃべりたくなるドラマだからだ。
日本のニュースでも韓国の大学入試日の様子はよく報じられる。遅刻しそうになった受験生を警察がパトカーに乗せて走るとか、試験会場の前で熱心に祈る母親といった光景は40年前も今も変わらない。20年ほど前からは受験生が渋滞で遅刻しないよう入試日は公務員の出勤時間を1時間遅らせ、英語のリスニングテストの時間帯は騒音があるといけないので飛行機の離発着もしない。どの大学出身かでその後の人生が決まる学閥社会は続いており、大学入試が人生に占める重要度は増すばかりである。
スカイキャッスルにも登場するが、韓国の銀行やデパートが開催するVVIP向けイベントは「大学入試」関連が多い。お金持ちにとっても子どもの大学入試が最大の関心事なのだ。中産層では老後の準備より子どもの教育にお金をつぎ込み、子供の大学入試の成功が自分の成功と信じる親も少なくない。2018年春の大学進学率は日本が過去最高の57.9%だったのに対し、韓国は68.9%(過去最高は2005年の82.1%)である。韓国統計庁のデータによると、2017年の小中高校生1人当たりの学校教育以外の教育費支出は月38万4,000ウォン(約3万8,000円)で、2007年の28万4,000ウォン(約2万8,000円)から3割ほど増えている。平均的に子ども1人当たり月所得の8%ほどを塾や家庭教師費用として使っているので、子どもが2人、3人となると家計の負担も大きい。
危機感が後押しする教育AI導入
スカイキャッスルが人気を得ると、一方で「韓国の教育はこのままでいいのか」と懸念する声も大きくなってきた。2016年の世界経済フォーラムで「Mastering the Fourth Industrial Revolution」として第4次産業革命がメインテーマになって以来、先進国ではAIやロボットに切り替えられない、人にしかできない職業とは何かを研究し、AI人材の育成に力を入れるようになったが、韓国はいまだに大学入試競争に勝つのがすべてという教育でいいのかという危機感がいっそう強くなった。
韓国の教育政策を担当する省庁の教育部(部は日本の省に当たる)ユ・ウンヘ長官の新年記者会見でも、スカイキャッスルの話題が出た。ユ長官は「大学入試政策を長期的な観点から見直そうとしている。10年後には想像もしなかったような職業が登場するだろう。親世代と子ども世代はまったく違う時代を生きることになる。子どもと保護者が未来に備えられるようにする」と述べた。AI時代に備え、大学入試がすべてになってしまった教育を見直すと発言したのだ。小中高校では児童・生徒のデータをAIが分析して一人ひとりに合わせた学習環境を提供し、高校・大学ではAI人材を育てるというプランを2019年から本格的に実施する。
韓国教育部はまず、ドラマに出た入試コーディネーターの役割をAIが行う「知能型学習分析プラットフォーム」と小学校低学年向け「数学AI」を2019年下半期から学校に導入すると発表した。「知能型学習分析プラットフォーム」では学校側が保有している学習資料をAIが分析して子どもの学習レベルを正確に判断し、デジタル教科書や教育放送、その他出版社が提供する資料から適切なコンテンツを選んで学習アドバイスを行うことで、子どもの学習意欲をアップさせ、教師の負担も軽くするのが狙いだ。「数学AI」は小学1~2年生の教育格差の解消を目指す。小学1~2年生に理解できた部分とできない部分を聞いても正確な答えは返ってこないので、AIを利活用して子どものレベルに合った教え方を工夫し、学習効果を高める。
これらの導入に向けて、教員のAI研修も行っている。AIとは何かといった基礎的な勉強から、民間企業が提供しているAI学習プログラム体験、プログラミング体験、AI時代の教育のあり方や未来の学校のあり方について考えるのが主な研修内容である。
次回からは、こうしたさまざまな取り組みを通じ、急速に本格化する韓国の教育AI革命の現状を追っていく。
By 趙 章恩
ITジャーナリスト。東京大学大学院情報学環特任助教。韓国ソウル生まれ。東京大学大学院学際情報学府修了(社会情報学修士)。韓国・アジアのIT事情を日本と比較しながら、わかりやすく解説するセミナーや寄稿活動を行っている。『日経ビジネスオンライン』『日経ITpro』『日経Robotics』『ダイヤモンド・オンライン』『ニューズウィーク日本版』『週刊エコノミスト』『日本デジタルコンテンツ白書』等に寄稿中.
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