「ミネルバ」は無罪、グーグルは本人確認を拒否 揺れる韓国ネット規制

あの「ミネルバ」が、1審で無罪判決を受け釈放された。ソウル中央地裁は、ネットに虚偽の事実を流したとする通信基本法違反の罪で起訴され、100日近く身柄を拘束されていたパク・デソン被告に対し、「虚偽の事実だという認識がなく、公益を害する目的があったという証拠もなかった」との判断を下し、4月20日無罪を言い渡した。(趙章恩)

 検察が本腰を入れ政府機関も注目していただけに、この無罪判決は弁護団側も予期しない結果だったようだ。ミネルバ無罪は日本のメディアでも報じられた。しかし、1年6カ月を求刑していた検察はさっそく控訴している。それに、いまさら「無罪」に何の意味があるだろう。



1審で無罪判決となり、家族らの出迎えを受ける「ミネルバ」=4月20日、ソウル〔ロイター〕



■無罪釈放でも以前には戻れない


 ミネルバは釈放後、「これからは実名で堂々と書き込みをしたい」と話していたが、ミネルバが誰であるかを知ってしまった今、人々はもう彼の書き込みに熱狂しないだろう。ネットユーザーが熱狂したのはミネルバというIDだけで知られた神秘的で特別な存在であって、パク・デソン氏ではない。


 ネットの預言者、インターネットの経済大統領なんて、実態はこんなものだよと、暴いてみせるのが政府の狙いだったのかもしれない。サイバー侮辱罪の導入議論がまだ続いているが、法改正をしてもしなくても、政府の気に障ることを書き込めば逮捕されるかもしれない、という脅し効果は十分あった。


 ミネルバは釈放された次の日からマスコミにひっぱりだこである。インタビューに対談に「王が戻ってきた」と大騒ぎしているが、ネットユーザーはその記事の下に「これだけ有名になれば、どこかの企業にスカウトされるんじゃない?」なんて冷めたコメントを書き残している。それに「ミネルバはパクさんではない。本物は別にいる」という説も根強く残っている。





■くすぶる大統領批判と政府の圧力


 政府の経済対策に失望した人々は、政府とは逆の見通しを語るミネルバの書き込みに熱狂した。景気はよくなる、大丈夫、大丈夫と呪文のように唱える政府とは逆に、ミネルバは最悪の事態が待ち構えていると悲観的な展望をポータルサイト「DAUM」の掲示板に書き込み、的中させた。


 そのミネルバへの賞賛は、李明博大統領への批判の裏返しにほかならない。貧乏な苦学生から財閥グループの建設会社CEOになりソウル市長を経て大統領にまで上り詰めた成功神話を持ち、自ら経済大統領を名乗って期待を集めた李大統領だけに、市民は「裏切られた」という気持ちを募らせた。気の毒なほど支持率が落ち、ネット上には相変わらず大統領を非難する書き込みがあふれている。


 ただし、ミネルバ事件以来、よほどの覚悟がないかぎり、政府に逆らう経済展望や政策批判は書き込めなくなった。令状がなくても捜査協力という名目でポータルサイトから会員登録用の個人情報が警察や検察の手に渡ることをみんなが知ってしまったからだ。ネット企業は広告やマーケティングのため、どんどん個人情報を集めているが、それが適正な手続きなく捜査機関の手に渡っている。


 ミネルバ緊急逮捕のニュースを見ながら、政府の無言の圧力を感じた人は少なくない。「インターネット論客」と呼ばれる人のなかにも、自分の掲示物の下に「これは小説です。誰かの名誉を毀損するつもりは全くありません。間違ったことがあれば教えてください。修正します」という卑屈な注意書きを残す行為がみられるようになった。




■4月から本人確認規制を強化


 韓国では2009年4月1日から、1日訪問者数が10万人以上のポータルサイトや動画サイト、ニュースサイトの掲示板にユーザーが書き込みをする際の「本人確認」が義務付けられた。ユーザーの住民登録番号と氏名を照会して実名確認をしたうえでないと、会員登録できない。従来は、ポータルは1日訪問者30万人以上、ニュースサイトは20万人以上が本人確認制度の対象だったが、この規制が強化されたのだ。


 政府は「クリーンで安全なインターネット利用環境を整えるために必要な措置であり、国家によるネット統制が目的ではない」と説明する。ただ、「NAVER」や「DAUM」などの巨大ポータルは以前から本人確認を実施しているにもかかわらず、悪質な書き込みが後を絶たない。本人確認が誹謗中傷や流言飛語の抑止に必ずしも効果を上げないことは、数々の研究でも示されているが、政府の決定には従わざるを得ない。


 ところが、これに敢然と立ち向かうサイトが現れた。



■グーグル「表現の自由のために」




韓国放送通信委員会のネットワーク倫理チームが発表した本人確認制度実施の対象となる153サイト。YouTube(赤く囲ったところ)もリストに含まれている

グーグル韓国法人が動画投稿サイト「YouTube(ユーチューブ)」において、本人確認制度の導入を拒否したのである。YouTube韓国語サイトも1日訪問者数が10万人を超えており、本人確認制度の対象である。守らなければ3000万ウォン以下の過怠金が科せられるが、法律の適用対象にならないようにする迂回術を講じて、匿名を維持することにしたのだ。


 グーグルは4月8日、YouTubeの告知欄にこう掲載した。「YouTubeは本人確認を要求しません。よりたくさんの情報を手に入れられるということは、よりたくさんの選択とよりたくさんの自由、究極的にはよりたくさんの力を個人に与えられると信じています。ユーザーが望むならば、匿名の権利は表現の自由において重要であると信じています」(http://www.YouTube.com/blog?gl=KR&hl=ko&entry=MTDoL1s-6Bg


 本人確認制度の対象である153サイトの中で、YouTubeだけが表現の自由を尊重する企業理念を理由に、本人確認を拒否した。外資系でもマイクロソフトやYahoo!Koreaなどは韓国語版サービスで住民登録番号による本人確認を実施している。



■政府はグーグルを徹底批判するが・・・


 今回YouTubeが採った手法は、ユーザーが国設定で「韓国」を選んだ場合は、データのアップロードを受け付けないというものだ。ところが、韓国からの投稿でも、国設定を日本やアメリカなど韓国以外にすればアップロードもできるしコメントも残せる。表現の自由のためとはいえ、かなりグレーなやり方といえるだろう。





YouTube韓国語サイトの告知画面



 韓国政府はもちろん怒った。「グーグルは現地法を守るとしながら、中国では守って韓国では守らない」「自分たちの利益のために匿名を維持するだけなのに、まるで正義の味方であるかのような振る舞いをしている」と放送通信委員会の委員長が遺憾の意を表明するほどの騒ぎになった。


 これに対し、グーグル韓国法人は「ユーザーの立場を優先する。実名制度はネットユーザーのためにならない法律で、ネットの活性化のためにもならない。グーグルは現地法に合わせて営業している。YouTubeは法律を拒否したのではなく、アップロードと掲示板を利用できないようにすることで、本人確認制度の適用対象からはずれたのであり、韓国法を守っていることになる」と説明する。さらに、「インターネットはいろいろな声がぶつかりあう空間である。100人より100万人の声があった方がいい。100万人が声を出せるのがインターネットであるのに、1万人しか声を出せないようにする法律では、インターネットのメリットは活かせない」と、一歩も引かない構えをみせている。





■新たな個人識別方式を導入する狙い


 グーグルによる本人確認制度の騒ぎのなか、韓国政府は、2015年からネットでの住民登録番号による会員登録を禁止するという方針を発表した。税金と金融サービスを除く全てのオンラインサービスには住民登録番号ではなく、I-PIN(Internet Personal Identification Number)呼ばれる個人識別番号を利用するという内容だ。I-PINは一度認証を受ければ、何度でも番号を変えられるので安心して使えると、政府は説明している。


 グーグルは本人確認制度そのものに反対しているが、本人確認はあくまでも実名や個人情報を運営者側で管理する仕組みであり、インターネット実名制度とは異なる。ネット上ではIDだけが表示され、ユーザー同士では匿名のままだ。ただし、本人確認の時に使われる住民登録番号は、かねがね問題になっていた。


 1つは、行政、医療、金融などに使われる重要な住民登録番号がネット上で利用されることにより、ハッキングよる盗難事件やなりすましによる詐欺事件を招いていること。また、住民登録番号を持たない外国人が韓国のウェブサイトで会員登録するには、本人確認のため外国人登録証の番号を入力するかパスポートのコピーを送る必要があった。I-PINへの移行は、こうした問題に対応する狙いがある。




■ネットの安全・安心は産学官で知恵絞るべき


 だが、I-PIN導入は数年前から何度も繰り返されている議論であり、結局のところ本人確認を巡る論争の根本的な解決にはならない。


 より安全で安心して利用できるインターネットの環境作りは、世界各国の課題だ。日本でも韓国でも、子供を不法情報から守るためのフィルタリングや著作権侵害の取り締まり、次世代インターネットの構築などに産官学が一緒になって取り組んでいる。個人を特定する本人確認制度ほど単純で簡単なネット規制はないが、ネット上の表現内容の良し悪しは政府が決めるべきことではない。


 意見の差異、多様性が認められる社会になればミネルバや本人確認制度なんて、議論にもならないだろう。第2のミネルバは当分登場しないかもしれないが、このままではグーグルのような対抗策や、ユーザー自身が直接海外サイトを利用する「ネット亡命」が増えるばかりだろう。そうなれば韓国の大手ポータルサイトやコミュニティーサイトの利用者が減り、広告収入も減る。打撃を受けるのは韓国経済なのだ。


– 趙 章恩  

NIKKEI NET  
インターネット:連載・コラム  
[2009年4月30日]
Original Source (NIKKEI NET)
http://it.nikkei.co.jp/internet/column/korea.aspx?n=MMIT13000030042009