韓国のプロゲーマーは全員、韓国eスポーツ協会に登録されている。
2008年11月末時点での登録者数は435人、準プロゲーマーが477人にのぼる。韓国eスポーツ協会は韓国のプロゲーマーの登録・管理、リーグ戦が行われるゲームの選定、リーグ戦中継権、その他コンテンツ事業を一手に受けている。
プロゲーマーは韓国人だけではない。欧米のリーグ戦で好成績を残した選手がスカウトされることもあり、外国人選手も珍しくない。
また芸能人野球団があるように、ゲーム団にも名誉選手・名誉監督として有名芸能人が参加して場を盛り上げている。
プロゲーマーは他のプロスポーツ同様、チーム移籍やトレードも行われる。契約金として日本円で数千万円が取り交わされるのは日常的。
リーグ戦で3回優勝すると「ゴールデンマウス」が送られ、名誉の殿堂入りを成した人気スターとしてテレビやCMにひっぱりだことなる。
家電量販店のパソコン売り場や携帯電話売り場では、入学、卒業、夏休み、冬休みなどのシーズンともなればプロゲーマーのサイン会が開かれるほどだ。
サムスン電子やSKテレコム、KTFなど大手企業の製品を買うと、その所属プロゲーム団の選手たちにサインを貰えるというわけ。優勝を重ねた有名選手ともなれば、アイドル歌手に負けないほどの長蛇の列となる。
オンラインゲーム中継専用スタジオの出入り口では、熱心な女性ファンが「オッパ、サランへヨ~」(オッパはお兄さん、サランへヨは愛してます、韓国では先輩や彼氏やアイドルなどをオッパと呼び親しんでいる)と声をかけ、花束やプレゼントを渡そうと大騒ぎになるシーンもしばしば。
F1レーサーのようなユニフォームを着たイケメンのプロゲーマーに夢中になるのも納得だが、事情を知らない人から見ると、オンラインゲームスタジオって何?これは一体何事?と驚くしかない。
先日は、ソウルから車で2時間ほど離れた韓国空軍本部前が大騒ぎになった。韓国オンラインゲームの伝説、皇帝イム・ヨファンが2年あまりの徴兵を終えて民間人に復帰したのだ。
韓国は北朝鮮と休戦状態であるため、徴兵制が残っている。韓国の国籍を持つ健康な男性は、誰もが19歳~30歳の間の24ヶ月、軍に服務しなければならない。
皇帝イム・ヨファンの除隊を取材するため韓国の主な総合新聞と雑誌、放送局から70人を越えるマスコミ関係者が駆けつけた。
彼が除隊する様子は総合日刊紙からテレビ、雑誌、インターネットまで、あらゆるメディアで一斉に報じられた。年間ニュースランキングベスト10にも入るほどの取材体制である。
56万人ものファンクラブ会員を保有しているプロゲーマーらしく、ファンの出迎えも大変なことに。
韓流スターとちやほやされる芸能人たちが、徴兵を逃れるため偽りの診断書を提出するといった問題があっただけに、きっぱり徴兵を済ませたイム・ヨファンの好感度はますます上昇している。
当日はファンクラブから抽選で選ばれたファン40人とのファンミーティングも開催され、いつから所属チームであるSKテレコムのT1に復帰するのか、結婚の予定はあるのか、年末年始の休暇はどこで何をするのかといった質問が飛び交っていた。
イム・ヨファンは、韓国では知らない人はいないほど最も有名で最も成功したプロゲーマーである。
彼の対戦の中で印象的な場面を集めたDVDや自伝が出版され、彼の行動一つ一つがマスコミに報道される。視聴率を稼げるスターとしてトーク番組やバラエティーでも出演依頼が止まない。
彼のカリスマやスター性は「逆境に強い」というドラマがあったからこそ印象深いものになったのかもしれない。
どう考えても勝ち目のない試合で、ぎりぎりまで追い詰められてもあきらめず、裏の裏を攻める戦術で敵を倒していく。
2アウト満塁で逆転ホームランを打つようなプレイに感銘され、ファンになった人も少なくない。
またイム・ヨファンは1998年IMF経済危機以降、韓国の経済をリードしたブロードバンドを成長を象徴するアイコンでもある。韓国がアナログからデジタルへ、開発途上国からIT強国へと成長したここ10年の歴史と彼の活躍は重なっているのだ。
オンラインゲームの対戦がスポーツ観戦のように面白いこと、学閥や専門職が優遇される社会の中ゲームで、医者や弁護士よりも多い億単位の年俸を稼げること、ゲーマーも立派な職業になれることを教えてくれ、想像を絶する数々の戦術に頭の良さが滲み出ていることから、プロゲーマーという職業を小学生が選ぶ憧れの職業にのし上げた。
彼の徴兵を無駄にさせまいと空軍がわざわざゲーム団を作ったのも納得できる。
イム・ヨファンは韓国に新しい風を吹き込んだ張本人なのだ。
eスポーツの活性化と発展に寄与した功績が認められ、韓国政府より「新知識人大賞」も受賞している。
そして今、彼はまた新たな境地を切り開こうとしている。プロゲーマーは頭の回転やマウスの動き、反射神経がもっとも優れている10代後半から20代前半に何年かやって引退するという世間の常識を破り、初めて30代現役プロゲーマーを目指しているのだ。
これから先も、彼に対する社会の注目が減ることはなさそうである。
By.趙章恩
Original report (@niftyゲーム)
http://game.nifty.com/cs/column/detail/090115122226/1.htm