Wikipediaの創始者であるジミー・ウェールズ氏が2008年11月に韓国を訪問した際に、「インターネット実名制度は民主主義に適さない。韓国政府はこれを見直した方がいい」と話したことがある。
ウェールズ氏は、実名の登録を強要する規制は効果を得られず、逆に別の問題が発生するという可能性を指摘し、「誰かを攻撃するためではなく、様々な理由で実名で意見を述べることを嫌がる人が多い。問題を起こす何人かを捜し当てるために匿名性をすべてなくしてしまおうとするのは危険だ」と述べた。そのうえで、「オンラインもオフラインも社会的責任は同じ。オンラインだけ区別する必要はない」と忠告したのが印象的だった。
■国民の直接参加を謳う「ドリームコリア」
韓国政府はウェールズ氏からこんな発言が出るのを知ってか知らずか、Wikiと実名登録制度を組み合わせた「ドリームコリア」(http://www.dreamkorea.org/wiki/main/index.php)というサイトを10月初めに開設した。国の政策についてのアイデアや提案をWiki方式でだれもが自由に追加して書き込むことができ、国民が政策立案過程に直接参加できるサイトという触れ込みである。
Wiki方式の国民参加サイトというが、やはり韓国の国民背番号である「住民登録番号」をはじめ、個人認証なしでは参加できない。実名を登録してどれほど自由に意見がいえるだろうか。「ミネルバ事件」以来、韓国ネットユーザーはネットへの書き込みに慎重になっている。
■「ミネルバ事件」で萎縮するネットユーザー
「ミネルバ事件」のことは、以前もコラムで触れたことがある。ミネルバというIDの人物が2008年3月からポータルサイトDAUMの掲示板に登場し、政府の経済成長展望とは正反対に株価暴落やウォン安を警告、政府の予測は外れミネルバのいう通りになった。経済問題が深刻化した9月ごろからは政府の経済政策に対する批判を書き込むようになった。それに賛同するユーザーにより、ミネルバはネット世界で「インターネット経済大統領」とまで称えられるほど有名になった。そんななか、政府関係者がマスコミのインタビューで「ミネルバが誰なのか既に把握している。彼は間違った情報で政府を非難している。正しい情報を伝えたい」と語ったのである。
遠まわしながらも、これ以上書き込んだら何か手を打つというメッセージを送ったのだろう。ミネルバは「身の危険を感じている、政府が沈黙を命令した」という言葉を最後に、11月になってからは書き込みを停止し、ネットは大騒ぎになった。
掲示板を運営しているポータルサイトは登録された実名をむやみに外部に明かすことはできないにもかかわらず、なぜ犯罪者でもないミネルバの個人情報を政府に渡したのか。政府を非難する書き込みをしたら、いつでも捕まえられるように身元を調査されてしまうのか。その恐怖からネットの書き込み意欲は減るばかりだ。ニュースの下に付けられたデッグル(コメント)も控えめで、ストレートに意見をぶつけるよりは、逃げ道のある書き込みが増えている。
「ドリームコリア」のトップページ画面
■参加メンバーには団員証や補助金も
韓国政府が国民の参加で政策を決定したいと意欲的に宣伝している「ドリームコリア」は、大きく2つのメニューに分かれる。
一つは、政府が発表した100大国政課題に含まれた未来関連課題を中心に、環境問題や経済問題で国民と政府が一緒に知恵を振り絞りましょうという「未来ビジョン百科」。もう一つが、地元の写真・動画・テキスト情報を投稿しながら地域発展に関する政策を提案していく「私の地元生活共感百科」だ。
サイトが公開された10月初めから約2カ月経つが、12月現在まだページ編集に参加する一般ユーザーは少なく、各省庁が発表した政策に対して一行ずつ意見を書き込む形での参加にとどまっている。ページの下にはコメントを付けられるコーナーがあり、ページにはあくまでも事実を、コメント欄には自分の意見を書き込むように区別されている。
気になったのは、韓国政府が目指す「低炭素、緑色成長」を象徴する活動として、自転車レポーターを募集したこと。自転車に乗って街の情報を投稿しましょうと、市民記者のような活動をさせている。Wikiは自発的な参加、ボランティアが基本精神だが、自転車レポーターには団員証が発行され、特別なイベントは実費を補助するとしている。
■問題ある書き込みに政府はどう対応する?
政府は、「Wiki方式を導入することで、意見や経験に基づく主張ではなく事実を基盤した知識が共有され、消耗的論争ではなく生産的討論ができる。これが政策にも反映される」としている。
しかし、ここに書き込まれたことが本当に国民の総意かどうか、どう区別するのだろうか。実名登録制度だから安心できると思っているのだろうか。わざと集団でおかしなことを書き込んだり、特定企業が社員を動員して自分たちに有利な政策を要望したりすることだってできなくはない。そうなったら、また個人情報を手にして脅したり逮捕したりするのだろうか。削除するのだろうか。それともWikiらしくユーザーの手で修正されるのを待つのだろうか。
国民参加といっても、この手の自治体サイトや政策ポータルサイトは今までもたくさんあった。わざわざWiki方式で新しいサイトを作ったということ自体、話題作りの方が目的なのではないかと勘ぐってしまうのである。とはいっても、韓国ネットユーザーはWiki方式に慣れていないため、誰も参加しない寂しいサイトになってしまう可能性の方が高いかもしれないが。
■「やってみよう」精神は理解できるが・・・
韓国では、掲示板やコメント、画像、動画といった投稿型のUCC(User created cntent)では、ネット利用者の8割が経験を持っている(2008年インターネット利用実態調査)というほど、よく利用されている。しかし、Wikiのように一つのページをみんなで一緒に書き上げていくという仕組みにはあまり慣れていない。
英語版のWikipediaには2008年12月12日現在で265万件の項目が登録されているが、韓国語Wikipediaはまだ8万2件しかない。ポータルサイト最大手のNaverが2003年からユーザー参加型の「オープン百科事典」を運営していて、そちらのサイトを利用してしまう習慣の影響もあるかもしれない。
似合わないように見えるWikiと実名制度の組み合わせではあるが、国民の意見を受け止めたい、どんな方法でもまずはやってみよう、という政府のチャレンジ精神は理解できる。「ドリームコリア」が本当に国民の声を政府に届ける窓になるのか、しばらくは見守っていきたい。
NIKKEI NET
インターネット:連載・コラム
[2008年12月22日]